… 1 … 世界には大小あわせて5つの大陸と、諸島といわれる島の密集するものが3つ存在していた。 その世界を創ったのはミアナ神。人間の始祖はその神が住まわれたミシディア大陸に、その万物の神・ミアナ神が創りだしたと伝えられていた。 リシアヴィア皇国に生まれた全ての者は、魔力を持つ。 故に、魔力を元にしての術法である魔術は、リシアヴィアで生を受けた限りは使えて当り前のものに等しい。 その力に大なり小なり、又は使える術の性質に各々の差があるとはいえ、人が呼吸をするのと同程度には当然に。 大抵は幼児期に、若葉が新芽を吹くように自然とその性質を露にするように。遅くても、10の歳を数えるまでには誰かの助力を得て、己が魔術の性質を解し、発動の手ほどきを受け、やがてはいっぱしの人々と何ら変わらない程度には使えるようになる。 そう、全く使えないという者は、居ない―――筈だった。 遠慮深げに小さく扉を叩くその音に、それまで分厚い本の文章を追っていた鳶色の瞳が、そちらに向かう。 「………あ、の…刹亜(セツア)? 寝てる、か?」 「灰羅(ハイラ)? 起きてるよ」 扉の向こうに聞こえる程度の大きさで答えると、おずおずといった態で扉が開かれた。 「ちょっと……いいか?」 部屋の中は、古びた机の上の灯りだけ。あとは窓から差し込む月の穏やかな光しか差し込まない。 「どうぞ」 ひとつ頷いて灰羅を寝台に座るように促すと、刹亜は手に握っていた栞をその頁に挟み、ぱたんと本を閉じた。 どこか沈んだ面差しの灰羅は、過去何度も見た顔付きをしている。 そういう時は、大概彼のどうしようもないコンプレックス絡みの時だと刹亜は嫌になるほどに知っていた。 「……陸瀬(リクセ)の取り巻き達に、又何か言われた?」 ふたつ大通りを挟んだ界隈に住む同年代の少年の名を出され、灰羅はぴくりと肩を揺らした。 「…………ごめん、」 言い淀み謝る灰羅に、刹亜はいいよと左右に頭を振る。 灰羅のどうしようもないコンプレックスについて大っぴらに何かを言うのは、陸瀬の周囲の者達以外には居ない。 陸瀬とは犬猿の仲と言っていいほどに、顔を合わせると何かしら衝突する。一方的に陸瀬側が、ふたりに突っかかっている図式が正しいのだけれど、それにきちりと乗ってしまう事にしていた。 無視すると、過剰にその分のツケがその後に乗っけられるのが常だったからである。 「……『運命の者』なんて……いる筈ない、って。そうでも言わないと、俺が生きていけないくらい打撃を受けるだろうから、大人達が視遠(シエン)さまに頼んだんだって」 「視遠さまが、己の矜持を捨ててまでそんな事なさる訳ないよ」 「…………だけど、僕が議事長の息子だから…」 「灰羅、」 さほどきつさも乗せていない自分の名を呼ぶ声に、灰羅ははっとしたように項垂れていた面を上げた。 「それ以上言わない」 刹亜の諌める言葉尻に、灰羅はほっとしたように目元を微かに和ませる。 「言の葉に縛られるよ」 「………う、ん」 言葉が時折途切れるのも、強く自分の意志を告げられないのも、周囲の者にとっては鬱陶しいと思えるその態度は全て灰羅が自分自身に自信を持てないことに起因する。 灰羅のコンプレックス。 それは、リシアヴィア王国存在しない筈の、"魔術を使えない者"である―――という事実。 それと知りつつもそれに関しては、刹亜はどうする事も出来ない。 刹亜は、灰羅の『運命の者』ではないからだ。『運命の者』のみが彼の力を呼び起こせるのだと、15を過ぎても術のひとつも発動することの出来ない灰羅に予言師である視遠は告げた。 「必ず、現れるよ。灰羅の『運命の者』」 何時になく穏やかな刹亜の言葉に、灰羅は 「…うん」 とぎこちなく頷く。 幼い頃から彼を慰めてきてくれたのは、この刹亜と三軒隣りに住む李玲(リレイ)のふたりだった。 「大丈夫、絶対に灰羅の『運命の者』は現れる」 刹亜の瞳は淡い鳶色で、酷く柔らかな色合いをしている。だけれど、柔らかなだけではないその瞳に宿る意志の強靭さは、灰羅などには及ばないくらいに強いと知っていた。そんな瞳に見入られ、言い聞かせるように告げられて、それに否と異論を唱えるのは難しいと、灰羅は刹亜から言霊をもらう度にずっと思っていた。 「僕の言う事、信じられない?」 「そ、んな事ない。刹亜は……天都(あまと)さまの再来って言われてるくらいの魔術使いだし」 希代の魔術師・天都。 リシアヴィア王国において、彼の名を知らぬ者など皆無に等しい。刹亜は、その天都の再来と言われる程の、魔法術の使い手だ。 「そ、そんな事じゃなくて…………どうして刹亜は、僕や李玲にはこんなに優しいのに…他の人にはキツイのかな…って」 「………普通だよ。それに、僕は優しくなんて…」 「優しいよ、刹亜は」 いつだって、優しい言霊くれるじゃない―――と、灰羅がその秀麗な面に笑みまで浮かべて言うと、刹亜は微かに眉根を寄せて睨み付けた。 「……元気になったみたいだね。さっさと寝な」 きっぱりと切り上げて灰羅に背を向けると、さっきまで手にしていた本を開く。 その刹亜の態度に、酷く穏やかな笑みを浮かべ、 「うん、そうする。刹亜も、早く休みなよ」 ベッドから腰を上げるとおやすみとひと声掛けて扉を押し開いた。 「おやすみ…」 そう返す刹亜に、一層その笑みを深くしながら。 閉じられた扉の内で、刹亜は小さく吐息を零す。 自分をあんな風に評するのは、幼馴染である灰羅と李玲だけだと苦笑しながら。 「………何時だってあげるよ。こんな言霊くらい」 それで、灰羅の気持ちが少しでも穏やかにいられるのなら…と、刹亜はひとり呟いた。 to be continue |