… 18 …


「何てことだい」
 微かに震える深い声音が落ちる。
「傾国だと、言った筈だよ。それが宮廷に入るという意味を考えないとはね」
 市井に完璧には埋もれはしないだろう。
 埋もれきるには、強過ぎる。が、それでもその場に在れば、その者自身の周囲に影響を及ぼすだけで済む。
「愚かしいにも程がある」
 傾国とは、他を惹き付けずにはおけない、捉えられた者は抗えない力。目に見えるものではないだけ、危機感が湧かないのも当然だろう。
 が、本来なら、国を傾げる程の力を持ちえた者なのだ。そこには、本人の意思など考慮されない。
 それを権力を保持する者のど真ん中に突っ込むなどと。
 占うまでもなく。
「………滅びたいのかね」
 稀代の占い師・視遠の憂いは、しかし、誰にも聞き咎められることなく空間に解けた。











 みんなみんな、君が好きだった



 信じられるか? と自嘲気味に笑う貌でさえ眼を惹く。
「嫁ぐんだって、俺が」
 まるで明日の天気を話すかのような陸瀬の口調に、取り巻きのひとりである希瑳(キサ)は唇を噛んだ。
「……なんで、俺なのかなぁ」
 貌くらいしか取り得ないのに、ぽそりと呟いて頭を垂れる。
「何言ってんだよ。綺麗なだけのヤツになんて、俺たちは――、」 続きを継げないまま俯いた希瑳へ陸瀬は問い詰めることなく、小さく苦笑いする。
 希瑳たちは、陸瀬の取り巻きだ。が、陸瀬の意を汲んで、あくまでも友人であろうとする。
『傍にいたいのなら、対等に』
 それが唯一、陸瀬が望んだことだ。
 そう、一番共に在りたい者たちを諦めた陸瀬のたったひとつの、望み。
 ささやかなというより当然でさえあるそれが、希瑳等からすれば断罪にも等しかったことを、陸瀬は知らない。
「………俺たちは、ただ、陸瀬が好きなだけだったんだ」
 白くなる程に握り締めた拳が小さく震えているのを見、陸瀬は僅か視線を落とした。
「知ってる、よ」
 だから、拒絶しきれなかったんだと憂いた貌に仄か笑みを刷く。そんな陸瀬の様に、僅かな逡巡を含んで希瑳は言を告いだ。
「………俺たちは、」

 陸瀬が誰といたいか、解ってなかったとは言わない。どれだけ、あいつらを守りたいか解ってて、そんな陸瀬の想いを利用した。
 そうまでしても、傍にいたかった。
 疎まれても。
 最悪、憎まれても。
 誰かのものになるのなんて受け入れられなくて。
 泣かしても、たとえ笑ってくれなくても。それでも、離れたくなくて。
 我が侭だって解ってた。
 だけど、謝らない―――謝ったら、駄目だと思うから。

 そう言いながらも深く頭を垂れる希瑳を見つめながら、懺悔のようだと思った。
 だけれど。
「希瑳たちだけの所為じゃない」
 はっきり拒絶できなかったのは自分だ。
 最初から諦めてしまっていたのも。
 そんな自分が、誰を責められようか。
「きっと、恐がって何も出来なかった俺が一番悪い」
 くしゃりと希瑳の貌が歪むのを見て、陸瀬は笑う。
「それに希瑳たちが、そんだけ俺のこと好きでいてくれることは嬉しいから」
 我が侭だった自覚も、離れて欲しくて無茶を言った記憶も随分ある。
「我が侭だったのは、お互い様だろ」
 疎ましくもあったけれど、それでも一途な好意は届いていたから。心底からの拒絶はできなかった。
 陸瀬の言葉に、希瑳が泣き笑いの表情を浮かべる。
 どうしたら……。
 どうしたら惹かれずにいられるのか、知っていたら教えて欲しい―――と、希瑳は思う。
「そんな陸瀬だから、」
「うん」
「お前がそんなだから、俺たち傍にいること……諦め切れなかったんだ」
 罵ることも嘲ることも出来るだろうに、同じように罪を被ってくれるのを厭わない陸瀬だからこそ。強烈に惹かれる心を、自然と受け入れられたし、抑える気にもなれなかった。
 そしてその想いは、陸瀬の犠牲を糧にし希瑳等に深い充足を与えてくれた。
 だから、自分が言えたことじゃないと知りながら。それでも、訊ねずにおれなくて。
「……ひとつだけ、」
 小首を傾げた陸瀬の瞳を見つめたまま、希瑳は問う。
「さっき、”恐がって何も出来なかった自分が一番悪い”って陸瀬、言ってたけど」
「あぁ」
 ひとつ頷いた陸瀬に刺さるのは、短くはない間傍にいた少年の真摯な視線だ。
「そうと解ってて、それでも槇尭さまを選ぶのか」
「ーーーッ、」
 ざっくり、と胸を貫かれた気がした。







「大丈夫でしょう」
 傾国の少年の幼馴染みのひと言に、視遠は目を細めた。彼女が呼びつけた少年は、稀代のとあだ名され、敬われ尊ばれる視遠を前にしながら物怖じする気配さえない。
「何故、言い切れる」
「彼が陸瀬だから、です」
 訝し気に視線で問う視遠へと発せられる刹亜の言は、一切の迷いさえない。
「市井という自由な場所においてのみ、彼が彼らしく在れるからです」
 宮廷は、彼にとって窮屈な籠にしかなり得ません。彼在らざる彼は、傾国とは程遠いでしょう―――きっぱりと言い切る刹亜に、視遠は成る程と頷いた。
「万に一つも、ないと?」
「視遠さまは陸瀬をご存じない。彼以上に籠のなかが似合わない者もありませんよ。それに、非情に執念深い」
「ほう」
「幼い頃に出逢ったひとを、ずっと一途に想い通す程に」
「……執念深い、ね」
 あまりな言い様ではないかと目許を綻ばせる占い師へ、刹亜は肩を竦めて見せる。
「おまけに、凄い頑固です」
 自分たちを護る為に、傍には居ない―――そうたった独りで決め、一人で成し、ひとりで決意を貫き通す。李玲の度重なる説得にも一切頷くことなく。そんな強さを、頑固といわずに何といえというのか。刹亜は知らない。
「お前さんにそう言われる程に、かい」
 灰羅をただひたすらに想い続ける限り、陸瀬は籠のなかを良しとしない。哀しいとも思うが、状況を受け容れられない限り、彼の少年は今ほどに輝けないだろう。
「ええ。だから、大丈夫です」
「成る程ね」
 再度頷き上げられた視遠の瞳は柔らかだった。が、次いで開かれた口から発せられた言葉に、刹亜は強張る。
「で、お前さんたちは、それを良しとするのかい」
 貌が歪むのが、自分でも解った。が、どうしようもない。
「…………視遠さま」
「何だね」
「それを、今問いますか」
 自らの無力さに苛まれているというのに。
 どれ程崇め奉られようと、それでもどうにも出来ないことが、あるのだと。
「―――不条理こそが世の常だよ」
「それは………受け入れたくない現実ですね」
「あっさりと受け入れられるようになったら、終いさね」
 だから、お前さんは大丈夫さと目を細められ、胸を苛む焦燥感は薄れないものの。それでも稀代の占い師の言の葉に、刹亜は深く安堵した。





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