眠りの守人






 ―――時折。

 必死に築いたであろう、柔らかなその内を守る堅い殻を粉々に砕いて壊してやりたいと思う。
 あいつがそれを望むことなど、皆無だと知っているのに。
 それでも、せめて己の前だけでは、解き放ってやりたい―――と、そう思う。

 だけど………その不器用さもが、愛しい。








 部屋の中に溢れるアルコールの濃厚な匂いが肌に纏わり付くかのような、気だるげな空間。
 そんな中に居るだけで、免疫のない者なら酔ってしまいそうだ。
「大体ね、あんたは勝手過ぎ」
 そう言って、己の方にぐいっと差し出された空のコップに、アカザ・マクドールは苦笑を漏らした。
「飲み過ぎじゃねーのか」
 いい加減止めとけよ、と忠告してる端でコップの中身を足してやる。酒場で時々鉢合わせていたので、それなりに嗜むという事は知っていた。が、一緒に飲んだ事はなかったから、彼なりの適量は知らない。
 自分は底なしという自覚はあったので、まともに付き合せたら潰れるのは目に見えていたけれど。
 夕刻、石版前に居ないのを訝りながら酒場を覗いたら、シーナと同席して飲んでいた。アルコールの所為でだろう、柔らかな表情が浮かんでるのに何かむかついたから、嫌がるのを殆ど拉致る状態で自室まで引っ張ってきた。
 シーナと飲むくらいだったら、何で俺誘わねーんだよ。
 と言うと、 「あんたの前で酔ったら、何されるか解んないじゃないか」 と返ってくる。
「よく解ってンじゃん」
 流石、恋人だよなぁvと笑ってやれば、剣呑な視線が寄越された。
「―――お酒、」
「あんっ?」
「用意してよね、飲みたいんだから」
 そう言って、ルックはどこか諦めたように椅子に腰掛けた―――のが、数刻前だった。
 テーブルの上には、ふたりで空にした瓶が4、5本転がっている。
 結構いけるんだなぁと感心しながら、それでもペースダウンしてきているのにそろそろ潰れるだろうと検討をつけた。
 普段なら色味を感じさせない肌が、ほんのり上気し桜色に染まってるし。いつもより表情が柔らかく豊かだ。
 やっぱ、一緒に飲むのは…ヤベェかも。
 体温が上がってる所為だろう、仕草がやたら色っぽいし。
 この状態前にしてその気にならないって方が、オカシイんだよな。色んな意味で、酒場から掻っ攫ってきて良かったとアカザは思った。
「酔っ払い相手にどうこうする気、ねーんだけど」
 それ以上に、意識がない状態でそうなった時、傷付くのはルックだと知っている。ここまで、正体なくしてまで飲んだのも、共にあるのが自分だったからだという事も知っている。


 彼を囲う強固な殻は、正直壊してやりたいと思う。
 出来ればいいとも、思う。
 だけれど、ルックがそれを望まない限り―――出来ない自分というのも知っている。


「………大概甘いな、俺も」
 自嘲気味に零した所で、目の前に空のコップが突き出される。
「……おかわり」
「おいおい、いい加減にしとけって」
 呂律がそろそろ本気でヤバそうで、ルックの手からコップを取り上げた。
「あーっ」
「もう今日は止めとけ、明日起きれなくなるだろ」
 取り上げたコップに未練たらしく手を出してくるから、それをやんわりと押し返し言い聞かせるように瞳を覗き込んだ。
 アルコールの所為で溶けた翡翠は、熱を帯びて己を映す。
 出逢った時、第一印象からして最悪だったが、それでもこの翡翠だけは好ましいと思っていた。解放軍を率いて最後まで立っていられたのは、この瞳から嘲られるのが堪らなく嫌だったからかも知れないと、今は思う。
「酔っ払いの世話はしないぞ」
 面倒だからな、と言ってやると 「……酔ってラんかない」 と頬を膨らませて見上げてくる。
 …………ちょっと、待て。
「……酔ってるヤツは、大概そう言う」
「なぁに、それ…」
「何って……お前、呂律ヤバイぞ」
 尚も手を出してくるから、その身体を片手で抱き寄せた。ヘタに遠ざけるよりは、取り難いだろ。
 いつもなら、ない力を振り絞って押し返そうとするのに、幾分高めの体温を感じる身体は、そのまま力なくストンと胸元に寄り掛かってきた。
「―――って、おい?」
 上から覗き込むと、厭うように擦り寄ってくる。縋りつくように袖口を掴む、指。
 何気ない酔っ払いの仕草だ。
 だけれど、ぞくっと背筋を走り抜ける……何か。
「どこまで人のこと、振り回してくれるのさ」
 拗ねたような様が、思い切りルックが普通じゃない事を教えてくれる。
 どっちがだ?! と言い返したいのをぐっと我慢して、腕から力を抜く。
「わ、解ったから。ちょっと待ってろ!」
「……どこ行くの」
 アルコールの所為で上気し赤味を帯びた貌は、情事の最中を思い出させるのには充分で。
 見上げてくる潤んだ翡翠の瞳はやたら扇情的だ。
「み、水、水汲んできてやるからっ」
 慌てて肩口を押し返し、早口に言い置いて、脱兎の如く駆け出す。狭い室内で、そうする自分は至極オカシイ。おまけに、ある意味そんな窮地に追い込まれたような感覚を感じる事なんて、例え戦場で100人の兵に囲まれる状況になってさえないだろう―――と、今の今まで信じていた。
 ぱたんと閉じた扉を背に、ハァ〜と項垂れて深い溜息を吐く。
「………参った、」
 恐らく熱く感じるあらゆる所は、上気して真っ赤だろうと解る。
 顔を覆った掌に、顔といわず体全体からぽっぽと湧く熱を感じる。
 所謂恋仲となった今でさえ、辛辣な毒舌を吐きまくり小さな身体いっぱいで他人を威圧し、虚勢を張る事を止めようともせず、冷めた翡翠で一瞥を投げてくるのに。
 共にする褥の中でさえ、理性を保てる間はその声さえ噛み殺し乱れる様を見せたくないとばかりに躰を強張らせているのに。
「………凶悪だろ、あれは」
 日頃完璧なガードを誇る所為だろう。
 それが取り払われた際に見せる態には驚愕するしかない。
 普段大人びた仕草が、歳相応に見える。
 振り回してくれてるのはどっちだよ!
 自分は計算づくな上に、駆け引きを楽しんでる分害がない、筈だ―――。
「…………もぉ、あいつには絶対呑ませねー」
 自分とふたりの時でも、だが。それ以上に、他の奴等となんかは絶対に。
 ついぞ感じた事もない身体を覆う火照りは、情事の最中のものとは違いその内に微かな甘味さえ感じるもので……未だに引く気配さえない。その微妙な感覚ににうんざりしながら、水差しを取りに行く為の最短距離を踏み出した。





 自室同然の扉の前で、水差しを手にひとつ溜息を吐く。
 うっしゃ、大丈夫! ヘタな動揺しないように、ひとつ気合を入れてから扉を開く、と。
 其処にルックの姿はなく、乱雑に脱ぎ散らかされた法衣が椅子の上に放り出すように掛けられてあり。
「…………………おい」
 ないと思ったその姿は、広い寝台の真中を陣取っていた。
 すやすやと心地よさそうに睡眠を貪る様に、思わず深々と溜息が零れた。
「俺様に使いっ走りさせておいて、寝るかよ」
 いや、戻る道すがら、もしかしたら…とは思ってたけどな。
 これが他の誰かなら、蹴り倒して簀巻きにして、紋章術でも食らわしてやるのは必須だ。まぁ尤も、他の誰かにここまでしてやる気なんて、さらさらねぇけど。
「気合入れたのが馬鹿みてーじゃねぇか」
 ぼやきながら水差しをテーブルの上に置き、寝台に歩み寄った。
 傍に寄っても、寝台に腰掛けても、気付きもしないのには仕方ないかと思いつつ、それでもひと言。
「…………んーな、無防備に寝てんなよ」
 囁くように言って、敷布に広がるさらさらと流れる髪を掬い、軽く口付ける。
 正体のない程に酔い、無防備に寝顔を晒せるくらいには、信用されてると…そう思ってもいいんだろう。
 尤も、信用はしても、信頼はしてくれねーけど。
 かつても今も、自分から他人に何かをしてやりたいと思った事など皆無に近いというのに。
「利用されてやるって言ってんだぞ、俺は」
 それさえもを拒絶する。
 外見だけは、儚い花のようなと謳われるその姿。その内が、真実外見そのままだと知っている者が、何人いるというのか。
 それ程綺麗に隠してまで、何を守ろうというのか。
「………んーとに、凶悪」
 愛しいと思う感情も、執拗なまでの独占欲も、切に何かを護りたいと願う想いでさえ、こいつが俺に教えたのだから。
「責任はちゃーんと取って貰うからな」
 グレミオを失い、父親を殺めた時も、テッドを喰らった時も、それは当然あったものだけれど……失うかもしれないという恐怖心はなかった。それらは、元から己の傍にあったものだったから。在るのが当然で、それが当り前だったから。
 欲し求めるという人ならば当然持ち得る欲望を押し留めた自分から、その枷を取っ払ったのは―――こいつだ。
 欲して奪われる恐れを抱かせたのも、こいつだけだ。
 己から真に求めて、真に手に入れたのは、こいつだけだった。
 だから、傲慢といわれようと我が侭と罵られ様と、自分から手離す事はない。
 言葉や態度とは裏腹に、それでも真摯なまでにルックを求める自分を知っている。
 この存在を失したら、暴走するだろう己を知っている。
「お前には、責任があるんだから」
 ルックが時折、呟くように 「……どうしてくれんのさ」 と言っていた意味が、ここに来て漸く理解できた気がする。
 要は、ふたりとも同じ恐れを抱いているのだ。
 シーナが「似たモノ同士」と評してくれていたが、その通りだったって事か。  くつりと我知らず笑みが落ちた。
 胴着を脱ぎ椅子の上に投げ捨ててから、小さな身体の横に滑り込む。そして、その穏やかな寝息を乱さないように、そっと腕の中に囲い込んだ。
 高めの体温と、耳元を擽る吐息を感じながら、 「……殻になら、俺がなってやる」 囁いて瞼を落とした。


 恐れるのは、傷付ける事だろうか。
 傷付けられる事だろうか。

 強固な殻を纏うのは、他者の為か。
 己の為か。


 取り敢えず、今はただ……この眠りを護ろう。








 ………今、此処に在るお前という存在、その全てが―――愛しい。

 ただひとつ、知り得ているそれが、己の真実。








...... END
2003.08.22

14000番目の御来店者様・Air様へ

 14000踏み、有難うございましたv
 ”照れるアカザ坊さま×ルック”でリクエストいただきました。
 えっと…えっと……えっと………、こんなんなりました。何か、微妙に違う気がしてならないのですが。
 どうやったら、アカザ坊さまが照れるのか……と、悩んだ覚えがございます。誉めたら当然だろうと言われましたし(苦笑)。⇒こちら

 これに懲りずに、これからも宜しくしてやって頂けると嬉しいですvvv

BACK