闇の守り手・後編
屋上には、心地良い風が吹いていた。 ここ数日、雨が続いていたのだが、今日は久しぶりに太陽が顔を出している。 ルックは大きく深呼吸した。 胸に滞ったモヤモヤを吹き飛ばしたかった。 眠れない部下達の方が、苦しい思いをしているのだということは、分かっている。 それでも悪意を向けられるとつらかった。 こうしていると、徐々に気持ちが落ち着いて来る。 ほうっと息を吐き出したルックの耳に、風に乗って、微かな声が聞こえて来た。 戦場にはそぐわない、若い女性の声だ。 よく耳を澄ませてみると、どうやら歌声らしいと分かった。 これが不眠を招くという、噂の歌のようだ。 ルックは風を呼んで、ふわりと舞い上がった。 声のする方角を目指して、森の上を飛んで行く。 段々、はっきりし始めた。 砦からしばらく来た所で、前方の丘に、小さな塔が立っているのが見えた。 「あそこだ」 近付いて、ゆっくりと高度を落として行く。 塔の前に降りようとしたところ、テラスに女性が立っているのに気付き、ルックは浮いたまま彼女に近付いてみた。 女性は真っ白なワンピースを着て、泣きながら歌い続けていた。 「こんにちは」 ルックにしては、比較的普通の挨拶だった。 飛んでいることを除けば。 女性は突如空中から話し掛けられ、びくりと大袈裟に体を竦めて振り返った。 「だ…誰!?」 「僕はルック。魔術師なんだ」 適当な自己紹介をして、テラスへと降りる。 女性は不審そうにルックを見つめていた。 「何か…用…?」 「歌を歌っていただろう?君が歌うと、この辺りの人達は眠れなくて困るんだ。やめてくれない?」 事実だけ淡々と告げると、女性は随分と困惑しているようだった。 意図しておかしな歌を歌っていた訳ではないらしい。 「眠れないだなんて…今まで誰からも、そんなこと言われたことはないわよ?」 「そりゃあ、あんたが歌ってるって知らなかったからだろう?この近辺には、人は住んでないみたいだし。僕が来た場所は、かなり離れているからね」 「じゃあ…」 「でも魔力は届くんだ」 声は聞こえない。 ルックでさえ、風が伝えてくれた、微かな声を辿って来たのだ。 他の者では気付きもしなかっただろう。 けれど、それに込めた魔法は、何里もの距離を超え、離れた場所にある砦まで届いた。 無意識の内に、彼女は兵士達を不眠に陥れてしまったのだ。 「自覚はないみたいだけど、あんたには強い魔力がある。歌っていたのは、人を呪う歌だろう?あんたが歌っただけで、それはただの歌じゃなくなってしまったんだよ」 「そんな…でも私は…」 「できたら、歌わないでほしいんだけど…無理?」 頼んでみると、女性は自分の事情を話し始めた。 恋人が無実の罪で殺されたらしい。 鉱山主が、自分の罪を隠そうとして、そこで働いていた彼に責任を押し付けたのだ。 彼女は懸命に役人に訴え掛けたが、嘆願が聞き入れられることはなかったという。 それから、彼女は毎日ここで、その鉱山主を呪う歌を歌い続けているそうだ。 「その男って、都市同盟の奴?」 「はい。でも、今はハイランドに占領されて、あちらには行けないので…」 以前、都市同盟の領地だった場所に、その男は住んでいるらしい。 この戦乱の中、どうなったのかは怪しいが。 確かめようにも、国境に阻まれ、あちら側へは行けない。 彼女に残された道は、ここで毎日歌うことだけだった。 ルックは一つの提案をした。 まず彼女が復讐を果たせるよう、同盟軍はハイランドを都市同盟から追い出す。 そして鉱山主の不正を暴けなかった役人は、それ相応の処罰をする。 だから、歌うのは同盟軍の砦に向けてではなく、ハイランド側に向かってにしてほしいと。 それ以来、彼女は歌う時に立つ窓を変え、ハイランドに向けて呪詛を吐き出し続けた。 2週間後、同盟軍は勝利した。 一転して不眠に悩まされることとなったハイランド兵達は、死にそうな顔色をしていたという。 朝早く、扉を叩く音がした。 目は覚めていたのだが、仕度途中だったルックは、返事だけをして慌てて服を着込んだ。 最後に、机に乗せてあったサークレットを手に取る。 「お待たせ…あっ!」 ちょうど側に置いてあったオルゴールを引っ掛け、床に落としてしまった。 がしゃんと音が響いた。 すぐにしゃがみ込むが、蓋が開いているにも関わらず、オルゴールは鳴っていなかった。 壊れてしまったのだろうか。 拾い上げると、裏の板が外れて、部品が出てしまっているのが分かった。 薄い歯車が一枚と、黒い小石が床に落ちている。 「……?」 歯車はともかく、この石は何だろう。 ルックは首を傾げながら、それらを拾い上げて机に置いた。 ひとまずは扉の外で待っている部下に、用件を聞かなくては。 「ごめん、待たせたね」 ようやく扉を開くと、そこにいた魔法兵団の青年は苦笑して言った。 「いえ、こちらこそ、朝早く申し訳ございません。本城から援軍が参りましたので…」 「今頃?もう戦闘は終わっちゃったよ」 「はい。そう申し上げたら、砦の人員を補充し、残りは帰還すると」 今回の戦闘では、かなりの兵数を失った。 それを補うため、幾らか人員を残していくということだろう。 ルックは補充人員に関する書類を受け取り、簡単に目を通した。 見ていた兵団員は、こちらの部屋をのぞき込むようにして言った。 「あの…大丈夫でしたか?」 「何が?」 「先程…何か壊れたような音が聞こえましたから…」 申し訳なさそうな顔をしている。 急かしたから、物が壊れたのだと気にしているのだろう。 「別に…オルゴールが…ちょっと壊れただけだから…」 大したことないという意味で言ったのに、顔は嘘を吐けなかったらしい。 暗い表情をしたルックを見て、兵団員は更にうろたえた。 「すっすいません!」 「え?いや、だから…」 「あのっ、私、少しは機械のことも分かりますから…よろしければ、修理致しましょうか?」 思ってもみなかった申し出に、ルックはぱちくりと瞬きした。 だが、直してくれるというなら、ありがたい。 とりあえず、見るだけ見てもらうことにした。 「これ…部品が出ちゃったみたいなんだけど…」 オルゴールを手渡すと、兵団員の青年は首を傾げた。 「あれ?これ、もしかして魔法道具ですか?」 「え?どうして?」 「造りを見たら、分かりますから。石か何か、入ってませんでした?」 訊かれて、ルックは机に置いてあった小石を取りに戻った。 まさか本当に、あのオルゴールに入っているとは思わなかった。 どうやら魔法石だったらしい。 「これが入ってたみたい…」 差し出すと、彼は納得したように頷いて、あっという間にオルゴールを直してくれた。 ネジを巻いて、蓋を開けてみる。 元通り、綺麗な音色が響いた。 「ありがとう」 「いえ、壊れたといっても、部品が外れただけでしたから…。それにしても、変わった物ですね。曲に乗せて、魔法を掛けるタイプのものですよ、これ」 「え?」 今まで全く気付いていなかったルックは、まじまじとオルゴールを見つめた。 唐突に、全ての疑問が解けたような気がした。 この音色には、魔法が掛けられていたのだ。 よく眠れるよう、闇が優しく包んでくれる魔法が。 でもその気配は、恋しい青年のものに近過ぎて、ルックには気付けなかった。 いつもそこにあるのが、当たり前のものだったから。 あの女性の歌声から守ってくれていたのも、このオルゴールだったのだ。 代わりに、ルックに向けられる悪意や魔法も、全て遮断してしまい、原因追及には時間が掛かってしまったけれど。 これがなければ、もっと早く、ルックは歌声を察知できていただろう。 ただし、今度はハイランドからの攻撃を防ぐ力がなくなっていたに違いないが。 結局、同盟軍を救ってくれたのは、このオルゴールなのかもしれなかった。 渡された時に言われた声が、頭に響く。 『お守りだよ。ルックが寂しくないように。よく眠れるように』 そう言って、彼は笑った。 ルックを包み込むように。 守るように。 ぽろぽろと、涙が零れた。 次から次へと溢れ出し、止まらない。 「ル…ルック様!?」 突然泣き出したルックに、兵団員はおろおろと慌てふためいていた。 ルックが人前で涙を見せるなど、まず考えられないことだった。 けれど、今のルックには、そんなことを気にしている余裕はない。 「ねえ…」 「はっ…はいっ!?」 「悪いけど、今日一日、休みをもらう。各部隊長に伝えておいて」 「はいっ!分かりました!」 馬鹿みたいにしゃちほこばって、彼は大声で返事をした。 いつもなら呆れてしまうところだが、ルックは構わなかった。 短く礼を言って、転移する。 早く彼に会いたかった。 会って、ありがとうと伝えたい。 でも相手の姿を見ただけで、ルックはもう何も言えなくなってしまった。 だから、ありったけの想いを込めて、彼を抱きしめた。 英雄と呼ばれる青年は、何もかも見通しているように微笑み、優しくルックを抱きしめ返してくれた。 久々に感じる腕は、オルゴールよりもずっと温かかった。 闇の守り手/終
――――――――――――――――――――――――――――
〔 前編へ ・ BACK 〕 |