再逢 彩哀 …最愛 − 6 月明かりばかりの屋上で、アカザはひとり丸みを増した月を見上げていた。 さらさらと降り注ぐような淡い月の光は、昼間の陽光に比べると酷く優しいと、素直に感じる。 「…あっ」 驚いたような呟きにも似た声にふっと視線を巡らせれば、そこには現・天魁星の姿があった。 「………オギ?」 丸い目を怪訝そうに細めて 「どうやってここ来たんだ?」 そう訊いてくるオギに苦笑を返した。 「さぁ? 企業秘密?」 「…………今度、抜け穴ないかモンドに探らせよ」 「あぁ? 何でだよ?? いいじゃねーか、屋上くらい」 「前、こっから間者入り込んできたらしいしな。それに、ここ―――」 「まさかとは思うけど、誰かのお気に入りだから…とか、言わねーよなぁ」 アカザが揶揄って言うと、その通りだったのか、オギは幼い顔いっぱい渋面を作る。 「おいおい、マジかよ……」 と肩を落としながら、アカザは手にしていた湯呑を目線の高さまで上げて見せた。 「飲むか?」 訊ねると、 「要らねー」 と石造りの壁に背を預け、先刻のアカザと同じ様に月を見上げる。 そして、ぽそりと呟いた。 「酒飲んでると……ナナミが悲しむからな」 「……っか」 いつも明るいナナミの笑顔を思い浮かべて、頷く。あの笑顔は曇らせたくないだろうと、アカザでさえ思う。 湯呑の中身を呷り、唐突に何かに気付いたように、月に魅入ったままのオギの顔をマジマジと見つめた。 「…………そーいやぁ、ルックは?」 寝たんじゃなかったのか…とのアカザの問い掛けには、 「俺が寝たと思って、帰った」 と答える。 「っていうか……な」 月 から視線を戻して 「何だ?」 と瞳で返すオギに、心底不思議そうに首を傾げた。 「お前さ、又なんであいつなんだ?」 物好きにも程がある、と呆れたように言われ、オギは無造作に頭を掻いた。 「うーん……何って言うか、ある意味一目惚れ?」 「……見目形だけはいいからな」 「最初会った時は、綺麗なヤツだな〜ってそのくらいの認識しかなかったんだけどな」 苦笑混じりのオギの台詞に、 「ま、あいつへの第一印象としちゃあ当然だろうな」 と大した感慨もなさそうに呟く。 「人が多くなるにつれて、どうしても細部までは目が行き届かなくなるだろ。押し付けられたにしろ何にしろ、やるこたーやんねーとと思って夜中見回ってたら……ルックが」 襲われてた―――と、オギは彼にしては珍しく躊躇うように告げる。 「最初はルックだなんて思わなかったけど。相手5、6人居て、そん中のひとりが魔法無効のお札なんて掲げてるし」 最初は、女の子だと思って慌てて 『何してる!』 と怒鳴ったのだと、言う。 「そいつら片っ端からのして、ルック助けた時にあいつが言った言葉が」 『……遅いよ』 「非難でも恨み言でも、増してや泣き言なんかでもなく、たったひと言そう言った。そん時、気付いたんだよな。こういう事、ルックにとっては日常茶飯事なんだろうなって」 ボロボロに切り裂かれた法衣の隙間から覗く白い肌に、微かに残る鬱血の痕や、今し方付けられたらしい血の滲む切り傷。 綺麗なと万人が囃し立てるその面の頬の赤味は、殴られた痕だったろう。 それなのに、毅然としたルックのその姿に―――目を奪われた。 彼の容姿は人目を惹き易く、そして捕らえられたが最後、離す事さえ容易ではない。本人が望む望まずに関わらず、だ。 『それから……何にもしてくれなくていいから』 『えっ…? だって』 『騒ぎになると、面白がる輩がいるし。色々と面倒だから…』 『っ、おい?』 『………先に休む』 あちこち裂かれた法衣に溜息を吐きながらも、肌が隠れる程度に纏って、さっさと踵を返すその様が………。 「何か……不器用だよな〜って」 利用出来るものは利用しなきゃ損―――というのが、オギの持論だった。 人、物、そして、地位。良心の呵責や愛情、同情といった感情でさえ、利用出来るならする。 「しなきゃ勿体無いだろ?」 当然といった感じで訊ねられ、アカザは、何というか…随分逞しい天魁星だ、と思いながら 「……そうか?」 と返す。 「だって、この世界に絶対なんてモノないじゃないか。人間なんて、正しい正しくないに関係なく、結局最後は感情で動くもんだし」 壊れてなどいないように見えても、やはりその内は壊れているのかも知れない。 視線を手に握ったアルコールに移し、その琥珀色が揺れて織り成す色合いに目を細めた。 ―――そこへ、唐突に。 「で、アカザは、何で?」 そういきなり訊ねられ、アカザはへっ? と誠に珍しい事ながらも呆けた。 「へっ?…て、あんたにとっても特別だろ」 「…………特別?」 何がだ? と問い返すと、 「ルックが」 と思いもよらなかった名がオギの口から飛び出した。 「…………どうして、そうなる」 「あんたたちって……返すリアクションまで同じ」 小さくオギは嘆息した。そして、自分の呟きに眉間の皺を深くしたアカザに、にっこりと笑って告げる。 「ルックはあんたの事、どうでもいいって言ってた」 オギの台詞に、アカザのどこまでも昏い紅玉の瞳がすっと細まる。 「……どうでもいい?」 「嫌いでもないし好きでもないんだって。どうでもいい―――ってさ」 オギはルックのその台詞は、相手に対してかなり失礼なモノだと思っていた。 大抵の人々は、自分と同じ様に感じるだろうという事も解っている。 それでも、それをアカザに告げるのは、何らかの決着を見たいからだ。 長引く戦乱と、崩れそうな姉の心。 きっと、心優しい姉は自分をこの戦乱の真っ只中から連れ出そうとするだろうという、予感があった。 それに、逆らえないかも知れない。 いい事悪い事何も関係なく、今の自分にとって彼女を守る事が最優先事項だった。 だけど―――全てを捨てていくには、長く居過ぎた。そう簡単に捨てられる程、この地もこの軍も、ここに籍を置く者達の存在もオギにとって軽くはない。 それでも……きっと、自分は姉を選ぶのだ。 置いていくのなら、ひとつでも何らかの結末を見たい。 それが自己満足に過ぎなくても、知りたかった。 「俺………逃げるから」 悪気の欠片もなさそうな表情でそう言って、オギは笑った。 誰にも告げずに行こうと思ったけど、流石にルックにだけは言っとかないとと思ってさ―――そう言って、笑う顔があまりに綺麗で無邪気で、そして…哀しそうで。 だから、 「……あんたがそれでいいって言うんなら、いいよ」 そうとしか、ルックには返せなかった。 ...... to be continue
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