泣きたくなるほどに − 3 真実を告げるか、否か。 それは、ある意味究極の選択だった。 「んーだって、あの男はこの期に及んで面倒掛ける!」 シーナからアカザの診断書を手渡され、軍主・オギはがしがしと髪を掻き乱した。 診断書には、”頭部強打により、特定の事柄だけを忘却に至る”と、実に簡潔に書き示されている。 「その”特定の事柄”、っていうのが一番問題なんだろ!」 軍師のシュウに目を細めて頷かせる事も度々である策士で、人を駒のように扱う事も躊躇しないオギの珍しい慌て様に、こんな時ではあったのだがシーナは漏れる苦笑を堪える事が出来なかった。 そう、そんな場合では全くもってないのだ。 アカザが忘却に至った”特定の事柄”―――それ即ち、ルックとの再会後の全てのやり取り。つまりは、恋仲であるという事実そのもの、だ。 「器用にも程がある!」 いや、それは器用とは言わないだろ…冷静に突っ込みたいところだったが、シーナは何とか自分を抑えた。火の粉が飛んでくること必須だからだ。 既に、この場に居る時点で火の粉を被っている事は確定済みではあったのだが。アカザとルックに関する事であれば、この程度は仕方ない…という諦めの境地ではある。 おまけに、自軍の魔法兵団長の事になると、途端子供じみた独占欲を露にする軍主殿へのお伺いは当然でもあった。 「だから、あんなヤツに渡すの止めときゃ良かったんだ」 確かにそうかも知れないが…と、シーナは思いつつも安易に頷けずにいる。 例え、周囲が認めようが認めまいが―――彼らには互いに互いが必要だったのだと、そう思うからだ。そう、此度の事など、単なるアクシデントに過ぎないのだと、そう信じたかった。 「会わせる、べきだよな」 躊躇いを含ませて問うと、 「……仕方ねーだろ」 との答えが返ってきた。 「それしか方法がねーんだから」 隠し通せる筈もないのが実情ならば…と。 「傷付く、よな」 「…………その分、アカザ殴る許可をやる」 「オギ、お前なぁ」 あれでもアカザはトラン共和国の英雄だ。未だに狂信的とも思える信者の数や影響力は計り知れない。 深々と肩を落とし、ついでに溜息までもを零すシーナに、オギは 「当然の報いだろーが」 といつになく剣呑に言い放った。 倒れた恋人の傍に付くでもなく、その容態を尋ねるでもなく、ルックはいつもと変わらぬ様子でいつもと同じように石板前に立ち尽くしていた。背筋を伸ばし、凛とした佇まいを崩さず。小気味いいまでに真っ直ぐに正面に向けられた翡翠の瞳からは、何の感情も読み取れない。 いっそらしいけど…と、内心心配でいっぱいであろう石板守の少年を視界に収め、シーナはその不器用さに苦笑を浮かべた。 「ルック」 名を呼ぶと、華奢な肩がぴくりと強張る。僅か見開かれた翡翠に、シーナの気配にさえ気付かないでいたらしい事が知れる。 「何で行ってやらないんだ?」 「………シーナ」 開口一番のひと言で、シーナの言いたい事を違いなく解したルックは、僅か翡翠を揺らめかせて 「何も出来ない…だろ」 とぽそりと零す。 「何も出来なくても。そういう時傍に居るって事が、互いの為に必要なんだよ」 「………」 あまりの不器用さに泣きたくなるほどの愛おしさを覚えて、くしゃくしゃと光を弾く茶の髪を乱暴に撫でた。 「さっき、目が覚めた」 そう、端的に告げる。と、緊張を緩むのを気配から感じ、これからルックが知る事実を思って僅か背筋を張り詰める。 「それと……今のあいつ、変だから」 「はっ?」 そう告げるシーナに、ルックは目を眇めた。 「……いきなり、何」 そもそも、あいつが変なのなんて今更じゃないとのルックの弁には、反論の余地もない。尤も、シーナとて反論する気など皆無だったが。 「あー いや、アカザが医務室運ばれたの頭打って気を失った所為だって……知ってるよな」 シーナの問い掛けに、ルックは呆れたように…それでも頷いた。 「城内その噂で持ちきりだからね」 その噂の内容が、『彼は本当にトランの英雄なのか』といった類のものであったとしても、だ。軍主の客人として招かれている上、本人の醸し出す存在感、そして美貌の魔法軍団長の隣りに居座る事を許された人物という事で、今では城内では知らぬ者さえない程の有名人になっている。 それ程の有名人ともなれば、その一挙一動を注目されてしかるべきで。 「別人じゃないかって噂も立ってたね」 あいつは元からあんなヤツだったけど…と、ルックのアカザへの評価は恋人へのそれと思えぬほどに冷たい。 「んー、全くもって同感だけど。そんな意味で変って訳でもないんだ」 ぽりぽりと頬を掻きながら、視線を彷徨わせる。 本当なら…こんなフォローするなんて柄じゃないとは思いつつ。それでも、傍観は出来なかった。それは、目の前の不器用な少年を、ただ―――傷付けたくないからに他ならない。 医務室を後にする時に問うた、 「お前、何か忘れてる、とか思わねぇ?」 に返されたのは、 「別に……何にも?」 という答えだった。本気でそう言っているらしいアカザの様を瞼裏に思い浮かべ。 全く傷付かないって訳にはいかないんだろうけど。と、どこか不条理さを感じながら、シーナは曖昧なままに笑みを浮かべる。 「何つーか、あいつ忘れてる…みたいなんだよな」 それでも、直接会って何も知らないままにその事実を知るよりはショックは少ない筈…だと。 そう自分に言い聞かせながらも、当然傷付くだろうルックを思って、シーナは内心深々と溜息を吐いた。 ...... to be continue
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