泣きたくなるほどに − 5 連れ立って歩くのは、決まって見目形のいい女。 そうして横に侍らせる女が、前日とは別人なのは当然で。 その様子は、来城したての頃の再現のようだと、シーナは思った。 違うのは、恐らく石板の周囲でたむろっているのが日常と化している面々の心中のみだ。 つい先ほどまでその場にはオギも居た。尤も、アカザが女連れなのを見ると、剣呑な瞳を浮かべたまま立ち去ったが。悪感情を曝け出すのはオギにしては珍しく、生半可でない機嫌の悪さを知らしめた。 渦中にあるルックの淡々とした態度も、その感情に拍車を掛けているのだろう事は想像に難くない。 シーナもそうだから、だ。 「……ルック」 あのアカザに、心底文句を言える権利を持つ者はルックでしかない。だけれど、本人がその権利をすっかり放棄している。 「ルック、」 咎めるようなシーナの声音に、ルックは真っ直ぐ前に向けていた視線を隣りに移した。 「いいのかよ、あれで!」 「……いいんだよ」 「そんなの、」 「いいんだ、あれで」 「いい訳、あるかよ!」 声高になるのを抑える事が出来なかった。 「泣き喚いて縋り付いて、何で忘れたんだ!って罵倒しろよ」 その権利がお前にはあるじゃないかとのシーナの台詞に、ルックは泣きそうに顔を歪めた。 「無様だね」 「違うだろ! 全然無様なんかじゃねー!」 「………違う、そうじゃなくて」 泣いて縋りつくなんて、出来ない。 嫌いにならないで、とか。どうして忘れたんだ…とか、言える筈もない。 それさえも、出来ないほどに――― 「ただ、怖いんだ」 。 もし、忘れたのが彼自身が望んだことなのだと……記憶を取り戻した彼からそう告げられたら? 想像するだけで、身体が震える。それは、例え様もない恐怖だ。 「あいつの前に居るだけで、泣きたくなる。怖くて怖くて、堪らない。体が逃げ出さないように抑え付けるので、精一杯なんだ」 強い声音で言い切ると、ルックはそのままゆるりと項垂れた。 「そもそも、あいつの想いなんて………信じて、ない」 その声音は躊躇いがちに震え、それが強がりだと知れる。そうとでもしなければ、立っていられないのだろうと、思う。 「ルック……だけど、あいつは」 それ以上言葉を繋ぐ事が出来なくて、シーナは口篭もる。 先ほど、アカザが連れていた女の瞳は碧色で。 昨夜、酒場で共に居た女の髪は、光を弾くような茶で。 そのふたり共が、ルックと恋仲になる以前には、アカザ自身目にも留めなかった容姿の者達だった。しかし、彼女等の持つその色合いは、彼の忘れた恋人のモノに他ならない。 忘れている状況ながら、追ってしまうのかも知れないとシーナは思う。 アカザも、ルックも、恐らく気付いてはいまいが。 ……だけれど。 それを知ったら、今まで以上に傷付くかも知れないじゃないか、という思いが言葉にする事を躊躇わせる。 「それに………今更、記憶が戻られたって、僕が困る」 ぽそりと、俯いたままに呟かれた言葉が、凝ったままにシーナの耳に届く。 「ルック」 「そう何度も……同じ痛みは、耐えられないよ」 きっと、僕はそこまでは強くない。ほんの刹那にしか過ぎなくても、安らぎを知った己は。 「僕はね、シーナ。永遠なんて信じてないよ」 だから、いつかは失うのだと、ルックは思っていた。そのいつかが、今だった…ってだけのことだ。そう、ただそれだけの。 「簡単な図式じゃないか」 面を上げ、自嘲混じりにそう告げてくるルックに。居た堪れずにシーナが逆に項を垂れた。 「…………悪ィ」 「シーナ」 「……何も出来なくて、ゴメンな」 そう言う声音が掠れ、水気を滲ませているのを知り、ルックは唇を噛んだ。 「何で………あんたが泣くのさ」 「…ゴメン、な」 幸せにしてやりたいと、そう願っていたのだと大の男が泣く。 自分には無理だけど、あいつなら出来るのではないかと―――そう思っていたのだと。 ルックは、この男は他人に涙など見せないだろうと思っていた。泣かないのではなく、誰にもそうと悟らせない様に涙するのだと、そう思っていた。 だけれど………。 「あんたが、泣く理由なんて…ないだろ」 肩を震わせて、嗚咽を噛み殺し、シーナはただルックの為にだけ泣いた。 いざそういう行為に雪崩れ込もうとすると、とてつもない違和感が胸を渦巻く。 柔らかな肌も、鼻孔を擽る香りも、甘く誘う声音も―――以前は欲を煽っていたその全てに、身体が拒絶を示す。 今し方別れた女性も昨日気紛れに声をかけた女性も、以前だったら、歯牙にも掛けない類の女だった。アカザが相手にするのは、恋愛する気のない遊び慣れた者のみだ。ここ数日の相手は、ともすれば相手方が本気になりかねない女達だった。 その女性の何が気になって、一瞬でもそういう気になったのか? 何が気に入らなくて、最後まで至れなかったのか? その理由が解らなくて、アカザは己の事ながら辟易していた。 夜を女性と過ごすのは、ここ数年当り前の日常だった筈なのに、何故今更?との疑問しか浮かばない。 未だ答えを得られない空洞に、それは関係あるのだろうか? 思考を巡らせ、そして顔を歪めた。 自分は確かに、何かを忘れている。周囲に諭されるまでもなく、はっきりと解っている。 だから、余計思い出せないという事実に気が焦る。 誰もがアカザに何を忘れたのかを告げないのは、自分で思い出さなければならない事柄だという事だ。他の力を借りずに、己で答えを見つけろと。それ即ち、告げられない間は許されているという事でもあるんだろう…と、思う。 「……だからって、簡単に解りゃ苦労はしねーって」 見つけられない間は、前に進めない事も解っている……のに。 とうとうその気になれないままに女を追い出した扉の前で、苛立ち紛れに叩き付けた拳が、ミシリと厳つい扉に悲鳴を上げさせた。 ...... to be continue
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