泣きたくなるほどに − 7 酒でも飲まなきゃ、やってらんねーと言うオギに、殆ど拉致る状態で酒場まで引っ張ってこられたルックは、柔らかに揺れるグラスの中身に視線を落としたまま、口端だけを歪める。 「アルコールで誤魔化せるようなモンでもないと思うけど」 はっきりと無駄を説きながらも、差し出されたアルコールを拒む事はしなかった。 仰のく細い首筋がいっそ細くなった気がして。 「ちゃんと寝てるのか?」 心配が、知らず口を突く。 「あんたにそんな心配されるとは思わなかった」 くつりと笑みを形取った相手に、誰の所為だよとオギはふんと鼻を鳴らした。 「したくてしてる訳じゃねー」 でも、気になるんだから仕方ねーだろと言われて、ルックは 「損な性分だね」 と他人事のように返した。 酒場の喧騒は、酷く心地いい。 誰も彼もが酔いの任せるままに、苦痛や鬱憤を暫しの間忘れる事を願って飲む。 「ルックは……どうしてそんな風に諦めきれる?」 そんな喧騒の合い間を縫って届けられるオギの問いに、両の手で囲っていたグラスをテーブルの上に戻してから、微かに苦笑した。 「…………いつかは訪れる別れだろ。それが、今だったってだけの事じゃない」 「怖いのか?」 揶揄するように言うオギへ、ルックは眼を眇めて冷たい視線を向けた。 「僕が怖いのは、僕自身―――だけだよ」 外からの痛みなんて、耐えようと思えば耐え切る自信があるけれど。自分で自分が律し切れなくなる、そんな状況だけが怖いのだと。 いっそ淡々と言ってのけるから。 「それに、泣いて縋るなんて冗談じゃない」 そんな風にしたって、結局は欲しいものなんて手に入らない。 現に……漸く手に入れたと思っていたその場所でさえ、結局は掌から擦り抜けていったではないか―――と。 「要らないから、なくしたんだ」 「だったら、泣かしてやろうか」 あくまで軽い口調で、何の脈絡もなくそう言われ。ルックにしては珍しく、その言葉の意味を把握するのに時間を要した。そして、その意を理解するや否や、言葉の主に剣呑なまでの視線を向ける。 「―――いい度胸してるね」 自分より微かに高いオギの瞳を睨み付けながら、ルックはその胸倉を勢いよく引き寄せた。 非力な自分でも、不意を突けば、そのくらいの事は出来るのだ。 「あんたに僕がどうこう出来るとでも思ってるの」 剣呑さを隠しもせずにそう言ったのに、その台詞に返されたオギの表情はいっそ見事なまでに笑顔だった。 「思ってっけど?」 小気味良いまでの返答に、ルックはすっとその翡翠を眇める。 つくづく、天魁星というのは―――。 「こんな性格じゃないとなれないのか」 などという感慨に耽る。 「ルックが言ったんだろ あいつは”もう要らない”って。だったら、いつまでも操立てしてる事なんてねー筈だろ」 「………だから?」 声音が揺れる。 「俺だったら、そういう意味合いで泣かなくて済むだろ」 本気ではない相手との関係なら、単なる快楽だけを……それ以上に、何もかもを忘れられる刹那の瞬間が受け取れるだろと。 「……忘れ、られる?」 始終胸を苛み続ける、この痛みから? 眠りさえ裂く、現実から―――? 「当り前だろ。誰の仕込だと思ってるんだ」 そう、悪戯っ子の様な笑みを浮かべたオギに。 「確かに、そうだね」 ルックは、淡く口端に笑みを浮かべた。 軍主の私室に足を運ぶのも、その寝台に身を沈めオギの顔を見上げるのも、随分と久方ぶりのような気がしたが。帯を解いてゆく手に任せたままに回想すれば、日数的にはそう経っていないのだという事にふっと思い至る。 「本当に…いいのか?」 アカザとそういう関係になってから、他の誰とも肌を合わせていないのを知るオギは、いざこういう段階持ち込みはしたが、未だ躊躇いを感じずには居られない。自分で言い出しておきながらも、だ。 「………嫌だって言ったらやめるの?」 感情のこもらない酷く冷めた瞳で問われ。オギは何故か胸が軋みをあげるかのような感覚を覚えた。 「―――やめねぇ」 きっぱりと告げれば、どこかほっとしたかのような色をのせた翡翠に出会う。 「だったら、確認する必要なんてないじゃないか」 どうしてやめられる? 彼はこんなにも追い詰められているのに。 普段の彼であれば、他人に弱みなんて絶対に見せないのに。 どうして放っておける? 「…泣かしてやるから」 耳元でそう囁くと、揺れる瞳がゆるりと伏せられた。 「んっ、……ぁ」 煽られる欲も、沸き起こる熱も、快楽としてこの身を翻弄するのに。 それでも、どこか冷えきって麻痺しているのを感じる。 だけど……言わない。 誰にも、告げない。 ずっと、ずっと―――この痛みは、僕だけのモノ。 あいつを欲した、受け入れた代償として……ずっと抱いていく。 それで、いい。 何もかも、元に戻っただけだ。 違ってるのは、あの時間に拘ってる僕だけで。 それは、僕ひとりだけで……。 あいつはそうじゃないから。 だったら、もう要らない。 あいつが要らないって言うんだったら、僕だって要らない。 温かかった腕も、漸く見つけたと思った場所も、やっぱり己が勝手に見た錯覚でしかなかった。 …………もう、何も要らない。 もう、何も欲しない。 ...... to be continue
|