泣きたくなるほどに   − 10




 気だるい躰を寝台から引き剥がしながら、ルックは深々と溜息を吐いた。
 窓から降り注ぐ日差しは、とうに昼を過ぎているのを知らしめる。
 久方ぶりに抱かれた躰が望むのは眠りだったが、こんな時刻まで寝台上にありながらきちんと摂取出来ていないのはルック自身が一番解っていた。
「オギは……出た、のか」
 城内に感じられない気配に、軍主がその役割を果たそうと城を空けたことを知る。
 本来なら、自分の役目は天魁星の力となることだった筈だ。その任も果たさずに、己は何をやっているのだろうと、ルックは自嘲する。
 これ以上横になっていたとしても、深い眠りは得られそうにない…と判断して、寝台から足を下ろした。厚みのない肩からずり落ちる大きめの夜着は、昨夜オギの部屋から失敬したものだ。
 そのままひんやりとした床を踏みしめると、冷気が上がってくるかのようで、微かに身を震わせた。
 と、コンコンと扉を叩く音と共に。
「ルック、入るぞ」
 扉の向こう側から聞こえる声に来訪者を悟り、「シーナ?」 と名を呼ぶ事で諾の意を示す。
「昼、まだだろ」
 開かれた扉から、出張サービスですvと、ふざけた物言いとトレーがルックに差し出される。咄嗟に受け取ったトレーには、サンドウィッチと紅茶、それにフルーツが数個。
 それはここ最近の、シーナにすれば最低限、ルックにすれば最大限の食事量だ。
「と、食ったら寝とけよ」
「……起きようと思ってたんだけど」
 そう言うルックに、シーナは肩を竦めた。
「最近寝れてないだろ、おまけに食べてない。って訳で、取り敢えず、お前は休養」
「………もう、平気」
「顔色最悪で、どこが平気だって? オギのヤツは、容赦なかったんだろ」
「ッ、」
 シーナに揶揄るように言われ、ルックは目の前の男を眉間に皺を寄せて睨み付けた。その様を見、シーナはいっそにんまりと笑う。
「別に、何回やったかとか聞いてやしないから」
 安心しろと言うシーナに、ルックは咄嗟息を呑み、次第に肩を落としながらゆるゆると吐き出した。
「大概、あいつも元気だよね」
 思ったまま口に出る。余程此度のオギの所業が身に堪えているらしいと、シーナは苦笑した。
「取り敢えず、食え」
 促され、トレーを置いた小さなテーブルに渋々といった態も露に着く。ちゃんと食事するのかを確かめる為か、シーナは向かい側に腰を下ろした。
「……こんなに食べれないよ」
 トレーの上のポットからカップに紅茶を注ぎながら、
「こんなの、腹の足しにもなりゃしない」 と、シーナは呆れたように言い放つ。
「それに、オギはティントから戻ったら、本格的に仕掛ける気だぞ」
 そんなで体力が持つのか、と真剣な眼差しで問われ、ルックは視線を落とした。
「お前の指示で何人の魔法兵が動くと思ってる」
 本来のルックなら、己の判断ひとつにどれほどの責任が課せられているのかなど、他人に言われる事なく知り得ているのだろうが。
「判断がいかに鈍っていようが、おまえの率いる兵団は前線に立たされるだろ」
 同盟軍の風使い・ルックの存在それ自体が、敵に与える脅威は計り知れない。ハルモニアの援軍を一掃した上、あのルカ・ブライトへ一矢を酬いたという事実は両軍共に記憶に新しい。
 オギがどれほどルックを大事に思っていたとしても、それとこれとは違う。
 目的の為なら、オギは己の思いさえ押し殺す事を厭わない。何が自分にとって一番なのかを位置付け、それに向かっての最短距離を測り出す事の出来る男だった。
 そして、それは一度見誤った故に、いっそ拍車を掛けているだろう。
「………解ってる、よ」
 天魁星の意を汲み、それを叶えるのに尽力を果たすのが、己の役目だと。ルックは、外していた視線を上げる。
「だったら、このくらい食え」
 柔らかに細まった琥珀の瞳とかち合い、ひとつ頷いて返す。
「あんたに諭されるなんて、まだまだって事だね」
 手渡されたままだった紅茶をひと口含む。時間を置き過ぎた為か、舌に感じるのは苦味ばかりだったけれど。
「なぁ?」
「……何」
「もっと、自分を大事にしないか?」
 言葉の内容以上に、シーナの瞳が痛ましげに歪んでいて。そちらの方が余程、ルックの胸を苛んだ。





 ホールへと続く階段を下り掛けて、シーナはその存在に気付く。
 守人の居ない石板前に、自国の英雄が陣取っていた。
 尤も、否応にも目に付く真っ赤な胴衣ときては、気付くなという方が無理がある。
 正直に言うなら、今現在シーナはあまりアカザに会いたくなかった。アカザ本人の所為ではないと理解しつつも、どうしても八つ当りしてしまわずにおられないからだ。
 もしアカザの忘れたのがルック以外なら……それが例え、シーナの事だったとしても笑って済ませられる自信さえあった。
「どうした?」
 だから、声を掛けてしまったのは、あまりに鬱陶しい様を目にして……仕方なくだ。
「……失くしたまま指を咥えてるのなんて、俺の趣味じゃない」
 じっと石板を睨み付けたままの紅玉は振り返りもしない。それでも、独り言のように零される言葉に、シーナは瞠目した。そして、口端に笑みを刻む。
「だったら、取り返せば?」
「………何を失くしたのかさえ解らないのに、か」
「だったら、お前は何でここに居る」
 シーナの問いに返されたのは、暫しの沈黙。
 本気で解っていないようだったら愛想尽かしてやるとばかりの決意を固め、シーナは返されるだろう答えを待つ。
「オギが、頭で考えたって無駄だって言ったからな」
 何も考えずに心の赴くままに足が向いたのが此処だったとのアカザは返答は、ここ最近皺ばかり寄せられていたシーナの眉間を緩めた。
「んーで、何迷ってる」
「迷ってる―――つーか、混乱してる」
 まぁ、確かに…とシーナは肩を竦める。
 一月前も、互いに自分の感情に戸惑いながら結ばれたふたりだ。恐らく、未だに言葉にして気持ちを伝えあってさえいないだろうと思う。
 呆れるほどに不器用な者同士が、溜息を零したくなる程に不器用な恋をしている。
「失くしたのは、お前だけ―――なんてふざけた事思っちゃいないだろうな」
「…ッ、」
 言葉という媒介が万能とはいわないが、それでもこのふたりの間にはあった方がいいのは明白だと、シーナは思う訳で。
「あいつが責めていたのは記憶を失くしたお前じゃなく、あいつ自身だ。いっそ、あいつがお前を詰ってれば俺達は殴ってでもお前に記憶戻させたんだ」
「………」
 未だ、石板を見つめたままの紅玉を僅か細めたアカザは、黙ってシーナの話しを聞いていた。
「解ったら、行って来い。それと、ひとつ言っとくけどな。これ以上あいつ泣かしたら、ビッキーちゃんに頼んでデュナン湖放り込むからな」
 ある意味何よりも恐ろしい餞の言葉に、アカザはそれでも笑みを返した。








...... to be continue


 もうちょい…です!
 しかし、アカザ坊で恋とかいう単語を使うのは、凄く気恥ずかしいんですが……!

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