そうするのは、君を傷つけるだけなのかも知れない。
 それを望んではいないのに……。
 それでも、欲せずにはいられない。

 願いは、ただひとつ。

 ずっと ずっと 変わらず傍に居て?








最後の楽園 − 後編






 殆ど身ひとつで来城したから、纏めるほどの荷などないのだけれど。
 それでも、そう理由を付けぐずぐずと時を稼ぐのは、何かを…彼を我知らずのうちに待っているからなのかも知れない。
 そう思い至って、自嘲気味に口許を歪める。一度ならず二度までも、彼を傷つけてしまった自分に…今更何が言えるというのか。会って、何を言おうとしているのか。
 逡巡しながら、ふっと頭のなかを掠めたそれは―――ただ。

 会いたい…と。
 ただ、そればかり。

 昨夜の嵐のような激情が綺麗に払拭されている今となっては、自分に対する嫌悪しか沸かず。
 それでも―――。
「ルック……」
 小さく彼の名を唇にのせる。
”何か用?”
 どんなに機嫌が悪くても、当たり前のように返されるそのたったひと言。変わらない…3年前と変わっていない彼に、どれほど救われたことだろう。
 ―――なのに。
 胸を刺す小さな痛み。
「―――ルック…」
 自分の愚かさに、歯噛みしたくなる。側に居たいのに…。それをしがたくしているのは、自分自身なのに―――。
「ルック……」
「……何?」
 呟いたそれに返事を貰い、取り繕う術もなくびくりと躰が跳ねる。ぎこちなく振り返ると、そこには求めて止まない風使いの姿が在り―――。彼が現れたのに気付かなかったという失態よりも、昨夜の行為に対する後ろめたさから不自然に視線を逸らしてしまう。
 そんな自分の様子に頓着する様子もなく、
「帰るんだって?」 ルックは淡々と訊ねてくる。
「……ツバキに聞いたんだ?」
「他の誰に聞けって言うの」
 彼の唇から、現天魁星であるツバキの名を聞くのは、厭だ。
 昨夜の暴挙に及んだ理由に、彼が起因しているから。あの時、自分の心を支配したのは、まるで我が儘な……子供のような、嫉妬。
 彼が―――ルックが、自分以外の他人の隣に居ることが、ただ許せなかった。
 だから、彼の罪悪感を利用した。
 利用して、押さえつけて―――傷つけた。
「……何て顔してんのさ」
 呆れたように溜め息混じりに呟く。
「後悔するくらいなら、最初っからやんなきゃいいじゃない。そういうとこ、3年前から全然変わってないよね、あんた」
 まるで、昨夜のことなどなかったかのように接してくるその態度に…。
 ホッとする自分と、相反する自分が居る。

 ―――なかったことにする?
 何も起きなかったのだと…?

 ルックがそれを望んでいるのなら、そうすることがいいのかも知れない。
 けれど―――。
 己が否定されているかの様に感じてしまう。
 胸が……痛くなる。
「うん、………そうなんだけど…」 我ながら、情けないと思うくらいに抑揚のない声が漏れる。
 僅かに落ちる沈黙に、居た堪れなさを感じる。彼と共に居るどんな時間でさえ、そうと感じた事なんてなかったのに。
全ての元凶は、己なのに。
「―――んな顔、してないでよ」
「えっ……」
 どこかせっぱ詰まった感のあるその物言いに、弾かれた様に彼の顔に視線が引き寄せられた。
 いつもなら絶対に彼からは逸らされない翡翠が、自分ではないどこかを見つめていて……。
「……解ってるよ、悪いのはあんたじゃない。曖昧なままの状態を続けてる僕が悪いんだって事もちゃんと解ってる。でも、解らないんだ……」
「ルック?」
「自分の気持ちが解らないんだ。あんたの事は嫌いじゃない。だけど、この気持ちが何なのかは解らないんだ。この気持ちに名前を付けたいとか、そんなんじゃないけど…。何も解らずに、ただ流されていくのは簡単だけど―――それじゃあ、厭なんだ」
 躊躇いながらも言葉を繋げるルックを、驚いて凝視してしまう。
「あんたが大事だと思ってるから……ちゃんとそう思ってるから。曖昧なままに逃げ道を用意しておくような真似、したくないんだ…」
 言葉を一句一句選びながら、そう告げてくるルックとその台詞の意味に、胸が痛いほど熱くなってくる。
「だから………待っててよ」
 逸らされた翡翠の瞳が潤んでいるのも、頬が朱色に染まっているのも……躊躇いながらも言葉を綴る色めいた唇も。
「きっと、僕は見つけるから」
 君から貰う言葉も想いも……その全てが愛しくて。
「………待ってて、よ」
 傷付けても、その矜持を踏み躙ってさえ尚、ちゃんと居場所をくれる。
 逃げ出す事も背を向ける事も許さない彼の強さからは、視線を外せなくなる。
「…うん」
 それがルックであるという、ただそれだけのことに……泣きたくなるくらいの幸福を感じる。
 伸ばした手は、振り払われないだろうか。
 抱き締めても……怖がられないだろうか。
 そうした恐怖を上回る衝動に捕らわれ、躊躇しながらも腕を伸ばして抱き締めた。
 微かに強張った躰は、だけれど逃げ出さなくて。それをいい様に解して、腕に力を込める。
 ただ、強く強く。
 想いそのままに、かき抱く。
「―――うん、ルック」

 どうして、こんなに愛しいのか。
 どうして、君じゃなければならないのか。

 そんな答えなんて、要らない。
 もう、必要ない。

 欲しいと思うのも、離したくないと思うのも、君だけ。
 君さえ居れば、他には何も要らないし、何も欲さない。

 そう思うのは、確かで。
 そう願うのも、違え様もない己の気持ちで。




 だから。
 ―――君が居る場所。
 そこが、僕の楽園。








...... END
2004.03.02

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