… 3 … 「おや……」 目の前の少年を一目見るなり、希代の占い師・視遠(シエン)の滅多に動かない表情が、微かに綻んだ。 息子の付き添いで訪れた少年の父を別室に押しやり、小さな机の向かいに座った少年に、元々の無表情に戻った視遠はしわがれた低い声音で告げる。 「いつかは来ると思っておったよ、灰羅(ハイラ)」 視遠は、幾分萎縮した少年の名を呼んだ。そして、口さがない者が影で噂はすれど、面と向かっては決して口にはしない灰羅の傷を遠慮呵責なく抉る。 「お前さんは、術と名のつくものが一切使えない、んだろう」 「僕は………何故、魔法が使えないのでしょうか」 リシアヴィア王皇国において、大小の違いはあれど魔術は使えて当り前のものだ。言語を操るのと同等程度に。 しかし、灰羅には魔法が使えなかった。 「それは、お前さんの母親の呪だよ」 「えっ……でも、母は」 思いもかけない人物の名を出され思わず言いよどんだ灰羅に代わり、視遠は 「亡くなってても、それが命を掛けても構わないと思う程に強い呪なら残るよ」 と、単々と言を繋ぐ。 灰羅の母親は、彼が5つの頃に亡くなっていた。どこかに心を忘れたように、ただ静かに笑んでいるだけの母だった。 「何故、母が」 「お前さんの母親は、幸福ではなかったのだろ」 視遠の言葉に、灰羅は小さく身体を強張らせた。 「………ッ」 「嘘、偽りなんてね、言っても仕様がないさね」 咄嗟に唇を噛み締める灰羅に、穏やかに視遠は言う。 大層な地位にいた父が、まるで金で買い取るかのように母を手に入れたという事は知っていた。当時、母には婚約者まで居たという。 父親を憎んだ事はない。父親は、確かに母を愛していた。そうするまでに、欲していた。 それは、自分に対してもだと……信じている。 だけれど―――。 「母は………僕を憎んでいたのでしょうか」 それはずっと誰にも聞けなくて。 ずっと灰羅の胸を苛んできたもの、だった。 「憎んでいたなら、こんな呪は掛けまいよ」 そう言って、希代の占い師は微笑んだ。 「相手を決して違える事のないように―――腹に宿ったお前さんに、唯一の人を見つけられるように呪を掛けたのさ」 「…………」 「不幸になって欲しくなくてね」 それは、お前さんの母親なりの愛とは違うのかい? そう問われ、灰羅は俯いた。確かにそうなのかも知れないと、思う。 だけれど、それでも魔術を使う者の中に於いての異質者だという疎外感は苦痛でしかない。その痛みには、堪え難いものがある。 「お前さんが誤らなければ、呪は解けるだろうさ。そしてそれは、お前さんの母親の願いでもある。現に、お前さんはその呪のお陰で何ものにも変え難いモノを既に見つけておるじゃろ」 人でありながら、異質の者を受け入れ愛するという事は難しい事さね。人は上辺しか見ないからね。傲慢なのさ。 それでも、お前さんはお前さん自身を愛してくれるモノを見つけただろ。 灰羅の眼裏に、小さな頃から傍にいてくれる友人の顔が浮かんで消えた。 「…………はい」 少年の答えに満足したのか、視遠は頷く。 「それを持てるだけで、お前さんは幸せだよ」 確かに、その通りだと灰羅は思った。彼らが居なければ、不安で淋しくて凍えていたかも知れない。 周りの友人が皆、揃って魔法を使い始め。得意気に己の属性魔法をひけらかすのを前に、魔力の発動に関する何の前触れもない身としては、酷く居心地が悪かった。 そんな自分を奇異の目で見る事もなかったのは、幼少の頃から一際際立った魔法術を発動させていた刹亜(セツア)と、女だてらに炎の魔法術の属性そのままの気性を持ち合わせた李玲(リレイ)。 そして、今は傍にはいることの叶わない暁の瞳を持つ少年。 血肉をわけてもいない彼らの自分に向けられる思いに、どれ程勇気付けられ慰められ、癒されただろう。 彼らは、灰羅の大好きな、大切な友人達だった。 「僕は……視遠さまの仰る唯一の人と、出逢えるのでしょうか」 人に与えられた生は短い。出逢える人の数も、それに相応しい数だろう。 「さーてね。全ての答えはお前さんが決めるのさ」 真に欲するモノを、見極めるのはお前さんだよ、と告げる視遠の瞳は、酷く穏やかで優しかった。 だから灰羅は、その視線を見つめ返しながら、ひとつだけ頷いた。 唯一の人と出逢うのは、困難を極めるだろう。 世界の広大さは計り知れない。 だけれど、自分は大切な友人達とこんなにも早く出逢えた。 母が呪を掛けたのは、きっと出逢えると信じていたからだと、灰羅は思う。 きっと……見つけるから 母さん 雲ひとつない空を見上げながら、少年は小さく微笑った。 to be continue |