… 4 … いつもや賑やかな地が、ざわりと質を変えたざわめきで満ち。 空気が、気配が、ナニモノかの襲来を告げていた。 「数と類は」 「凡そ50、翼竜種かと思われます」 「……の割りに、進攻が遅いのは…あぁ、アザトの村付近で先攻隊が交戦中か」 ここ帝都からアザトの村へは、休息を挟まずに歩いても丸一日。人間ではない翼竜種なら、三分の一の時間でこの地へ辿り着く。 行使されているだろう魔術の余波を感じているのか、鳶色の瞳は違うことなくかの地の方角へと向けられている。 が、その視線がかの地を離れた刹那、 「希汪(キオウ)将軍の隊を前面に配置。世按(セイアン)将軍と是雷(ゼライ)将軍の隊でその両脇に展開するよう、伝令」 背後に控えていた使者へと指示が飛ぶ。 歳若い采配者。その智と術の高さ故、希代の魔法術師・天都(アマト)の再来と誉れ高き少年。名は、刹亜(セツア)という。 ”此度の全権は全て委ねる” 予見師より今回の襲来を告げられていた皇帝は、齢17の子どもに帝都の命運を委ねた。 殲滅させれば皇帝の誉れ、仕損じれば子どもの失態。 「どっちにしても、損な役回りだーな」 刹亜の倍はあろうかという体躯を揺らしながら、 「やだねぇ、政治って」 うんざりと愚痴るのは25という若さで将軍にまで上り詰めた男だ。 「逞香(テイカ)将軍には、この国の要を」 刹亜の指示に、うあ〜と微妙な唸り声が男の喉から発せられる。 「お前さんの護衛じゃないのか」 「……必要ありません」 つれない応えにも、逞香は怯まない。 「つーか、要の方是雷に任せちゃどうだい。あそこにゃ近衛兵隊も居るんだし、年寄りにはその方が親切じゃん」 「駄目です」 ぴしゃりと言い切って、隣りに立つ男を見上げる。 「逞香将軍は、手を抜かれますから。皇帝陛下の目の届く場に居て下さらないと」 「抜けるとこでしか抜いてねぇだろ。それに、あそこだと暴れられねぇ」 「尤も」 見上げてきていた強い視線が、前面・帝都の未だ開かれたままの門へと移される。 「どこでも同じです。帝都に入る前に殲滅します」 一応、帝都軍が動いたという事実が必要なのであり、損害や死傷者を出すのを避けたいが故に、自分が呼ばれたのだということを刹亜は知っている。そして、そのやり様も、力量も、己になら在るということも。 なければなくても構わない……と、思われていることも。 「一方的に利用されるのは良しとしない、んじゃなかったかい」 揶揄る男へ一瞥投げ、 「時と場合に寄ります」 言い捨てる。 「今がその時、だって?」 「運悪く。護りたいものがここにあるもんですから」 危機に晒された故郷を前に、辛辣な台詞を投げる刹亜を諌められる者は居ない。 護りたいもん…ねぇ、と呟きながら、希代の魔法術師の小さな肩を眇めた目で眺める。細く頼りない体躯は、子どものそれで。全てを背負い込もうとする様は、痛ましさを感じざるを得ない。 建都の英雄、天都の再来を謳われる重みは、いかばかりのものなのか。 怖くて想像も出来ない、との思考を断ち切る為に、逞香はゆるりと長い髪を揺らした。 「それは、お前さんを縛り付ける鎖になりゃしないかい」 問いに大きく瞠られた瞳は。 「…………俺が俺であることを示してくれる鎖、ですから」 なければ困ります―――そう言って、哀しくなるほどに柔らかく溶けた。 やれやれ、と逞香は何ともいえない表情を浮かべる。 取り付く島なしという言葉の意味を、自分より歳若い少年に会って、彼は初めて解釈した。 「笑ってりゃ可愛いのにねぇ」 不意打ちの所為もあったろうが、挙動不審になるには充分なインパクトだった。そもそも、笑った顔というもの自体も、初めて見た気がする。 「ま、笑えねぇわな」 少年自身を取り巻く状況が状況だ。 天都の再来と謳われる刹亜、リシアヴィア皇帝陛下、そして神殿の文字通り三竦み状態。刹亜にしてみれば、この状態は理解出来れど納得のいくものではないだろう。周囲に関しては大人気ないとは思うものの、それをどうこうする力など己にはないのが現状だ。 尤も、城勤めする気も神殿に帰化する気もないと突っぱねているのだから、その気の強さは窺い知れるが。 何の後ろ盾もない状況で、それがいつまで持つか。 慌しく脇を走り抜ける兵士達を横目に、それでもそれは逞香ののんびりとした歩を崩す事はない。 「将軍、配置に着きませんと」 焦りを含んだ年若い護衛の声にも、あぁと暢気に返すばかり。そういやぁ、こいつも刹亜と同じ年の頃だったか…と、目前に揺れる黒檀の髪に視線を落す。 んーとに、小せぇのになぁ。 失礼極まりない思考が読み取られた訳ではないだろうに、絶妙なタイミングで睨まれ、逞香は両手を挙げた。この小さな護衛は、優れた剣の腕以上に逞香を律する力量を買われている。本人には至極迷惑極まりない実情であっただろうが。 「刹亜殿の策に障りが出ます」 「ってーか、刹亜殿帝都にゃあ入れないって言ってたじゃねーか」 「将軍、」 「はいはいはーい、解ってるよ」 あの少年はやると言ったからにはやるだろう。それだけの英知と魔力とを保持している。成し得たとしても、傷付くのを知りながら。それでも膝折らない矜持の高さを、逞香は結構気に入っている。 「本っと、可哀想なくらい莫迦」 取り敢えず、後で任されることになるだろう城門外での後片付けの文句だけは言わずにおいてやろうと、歩調を僅かに速めた。 to be continue |