… 6 … 血肉で覆われた大地は、言葉どおり禍々しく壮絶。 まさしく、目を覆わんばかりの光景。 咽返るような血の匂いと腐敗臭に混じるのは、その一面の範囲に焚き染められた鎮呪の香。 恐らく、戦いの後というのは同じような光景なのだろう。 地に平伏す屍が、人のものではないということだけが、同属としてのささやかな安堵に違いない。 「あー、もう終わってんじゃン」 足許を汚す事を気にしながらも、ひょいひょいと器用に合間を抜けて行く人影は、ふたつ。 血塗られた大地を見回し、さも驚いた風に蒼い瞳を丸くするのは、ひょろりと背の高い白金の髪の男だ。その男よりも幾分背の高い屈強な男は周囲の目を覆うばかりの光景を宵闇色の瞳に映し、 「……大掛かりな魔法だな」 淡々と述べる。 対照的なふたりは、軽装ながらも旅人らしい格好をしていた。 「こりゃ又、結構な使い手が居たもんだ」 「帝都になら居て然るべく、だろ」 「だって、これ、混じりっ気ないぜ?」 魔力の残留を読む男の言は、つまり、この大規模な魔法を行使したのは、たったひとりということに他ならないことを示している。 「………世界は広い」 「全くだ。っつーか、折角ここまで来たんだ。会っといて損はないな」 「………」 「そう嫌そうな顔すんなって。こういう商売は、顔広い方が有利。人との縁が大事だぜ」 どこでどう役に立つか解らないし、と飄々と言ってのける男に冷めた瞳を向けながらも、否定することはなかった。 「なんてーか……洗練されてるねぇ」 「………」 ふたりの帝都への第一印象は、それだった。 「流石、リシアヴィアの首都って感じだな」 感想を漏らしながら露店で購入した赤い果物を薄汚れた上着で拭く、という相棒の所作を目にした大きな男は、僅かに宵闇色の目を細める。 それで拭いた意味があるのか、と思いながらも、言うだけ無駄になることを男は口にしない。尤も、言わなければならないことさえ滅多に口にしない男だ。 お陰で、連れの男の察しの良さは一芸に値する。 「……あぁ」 「取り敢えず、今夜の宿の確保だな。久しぶりにふかふかの寝台で寝たいし、まともな飯も食いたいし、美味しい酒も飲みたいし」 これからの行く先をさっさと決める台詞に返る異論はなく、手にしていた果物に歯を立てた。 「天都さまじゃ、天都さまが降臨なされたのじゃ」 有難いことじゃ、と両の手を揉み合わせる年寄りに、胡乱気な視線を向けた。 魔獣の襲撃、撃退による帝都民の興奮は未だ冷めてはいないようで、情報収集がてら徘徊していた男達の耳に届くのはそんな言葉ばかりだった。 「……あまと?」 「建国の立役者だ」 訝し気に呟いた男に、視線を向けないまま答えを与えるのは、隣に立つ男。 「あぁ」 そういえば、聞いたことあるなぁと白金の髪をぼさぼさと掻き乱す男に、連れは微かに眉間に皺を寄せた。 「だけど、あれってさぁ」 建国が成され、国内の動乱が収まった数年後に没したんだったよな、との確認の問い掛けに大男は頷く。 「国葬が盛大に執り行われたらしいな」 「だよなぁ」 当時の記録には、過去のどの国の国王のそれよりも大仰に執り行われたと書き記されてあった。それだけの偉業をなし得、英雄視されていたということだ。 「ありがたや、ありがたや」 未だに目前で両手を擦り合わせて拝む老婆からは、真実は語られそうにないのに踵を返しかけ。 「ーーーっお!」 自分たちの背後の群衆を射抜くかのような険しい暁の瞳に気付いた。 「すっげー美少年」 「……柚希茂(ゆきしげ)」 口笛を吹き、感嘆したままを口にする相方の無作法に嗜みを促す男も、実際のところはその少年の美貌に驚愕していた。 肩を掠める長さの白銀の髪は光りを弾き、萌えるような暁の瞳は強い意志を秘め。丹念に練りこまれた陶磁器を思わせる白い肌は滑らかな線を描いていた。華奢な体躯ながら、その美貌と存在感は強烈なまでに目を惹く。 「………天都さまなんかじゃ、ない」 噛み締められた朱色の唇が開かれ、怒気を含んだ言を吐くのを耳にし、ふたりの男は呆けていた自身に気付く。 「ぁー、」 柚希茂はきまり悪気に、ぽりぽりと頭を掻いた。 「天都さまなんかじゃない―――刹亜がやったんじゃないか」 「せつあ? その人はどこに?」 訊ねられて、少年ははっとしたように暁の瞳を瞠る。ぴくりと戦慄いた唇が、僅かにその赤味を失う。男達を見上げる訝しげな瞳に、先程の台詞は意識して発言したものではないのだと知れる。恐らく、独り言に近かったのだろう。怒りの為か、独り言というにははばかられる音量であったが。 「……あんた達、何」 「リーリアの賞金稼ぎ」 「それが、あいつに何の用」 「用、つーか。あんな凄っげー魔術使いを純粋に拝んでみたいなぁって?」 相手の思惑を探るように掛けられる問いに、柚希茂は淡々と答える。 「見世物じゃない」 「物見遊山で来た訳じゃないよ」 「……………傷つける、とかじゃないんだな」 「理由がない」 偽りがないか見極める為か、じっと向けられていた視線がようやく外れ、 「…………………評議会議事長の汰鞍(たくら)様のお宅に要る」 渋々といった態で告げられる。 そんな態度にもだが、交わした会話からもこの少年が刹亜という人物を想う気持ちの深さは容易く量れる。大事な人なのだろうと、彼らは思う。 「そんなに嫌なら、教えなきゃいいのに」 「あんた達は、あいつの名前知った今なら簡単に辿り着くだろ。賞金稼ぎが情報収集に長けてることくらい、誰だって知ってる」 「そりゃ、そうだけど。だけど、友達売ったなんて後悔しなくていいじゃん?」 「………友達なんかじゃ、ない」 「って、さっき”傷つけるな”って」 「ーッ、別に、あんた達には関係ない」 高潮する頬は怒りの為か、焦りの為か。 好意をそれとして悟られるのを厭う様は、この年の子どもらしいといえばいえるもので。この年頃の不安定さに、柚希茂は微か苦笑を浮かべると共に肩を竦めた。 汰鞍という人物の屋敷は、実に容易く辿り着いた。 道行く人、誰に尋ねてもきちんと説明されるほどに名が知れ渡っている人物らしい。城への出入りを許されている商家のひとつで、帝都での評議会議事長の役を担っているという。 大きな門構えは威圧感を与えるが気負うことなく、出てきた使用人に刹亜への対面を願うと、拍子抜けするほどあっさりと許可はおりた。 年の頃は17,8の、全体的に細造りな少年。 「貴方たちは?」 鳶色の瞳が、訝しげに大きく瞬く。 風が巻き上げた淡い茶の髪がさらりと揺れる。 「えーっと……あんたが刹亜?」 「そうだけど」 貴方たちは、と再度窺うように問われ、ふたりの男は互いに顔を見合わせた。 「リーリアの賞金稼ぎ」 「俺は衣雷、こいつは柚希茂という」 端的に答えるのは衣雷の役割と決まっている。 「リーリア……最北の国?」 世界一の大陸、ミシディアには大小合わせ6つの国があり、リーリアはその在り位置から別称・最北の国と呼ばれていた。 「ここからだと、8日で国境に到達。勿論、昼夜問わずに歩き通しで。更に4日歩き通しで首都、ってとこ」 結構な距離だよーと笑う男・柚希茂を、刹亜はじっと見つめた。 リシアヴィア王国から出たことのない刹亜は、異国を知らない。耳にし紙面で見、知識として知り得ていても、国境で隔てられたに過ぎないとはいえ異国人と語らうなど初めてだった。 市井に住まいながら、天都の再来として多くの人の目に監視されているに等しい刹亜は、限られたものの中から知識を補うしかない。その実情は、いわゆる籠の鳥となんら変わらない。 「貿易の盛んな国、ですよね」 広さ的にはリシアヴィア皇国と然程変わらなかった筈だ、と刹亜は記憶を辿る。 ミアナ神国を挟んでの隣国。 国は違えど、その見目形や中身は自分たちと変わらないのだ、とぼんやり思う。勿論、箱入りだという自覚はあるので、そんな当たり前といえば当たり前の事を口にし、嘲られるような愚は冒さない。 リーリアとリシアヴィアは国交はあれど、それは刹亜には何の関係もない、筈だった。 「で、俺に何の用ですか」 だから、訊ねる。 「あぁ、魔獣倒したのあんたって本当?」 逆に訊かれて、刹那強張る。 「……それが?」 「いや、皆が皆”あまと”ってヤツが降臨したとか、何とか言ってっから?」 あぁ、とこの男の台詞に合点がいく。 「おまけに、どこ行っても誰に聞いても”あまと””あまと”言いやがるくせに、居場所聞いても誰も答えないから」 皆の中では僕は僕ではないから、と知らない内に零し掛け、その迂闊さに気付いて口を噤む。 そんなことを、何も知らない通りすがりの男たちに愚痴ってどうする―――刹亜は、我がことながら自嘲する。 「確かに、僕が皇帝陛下からの勅命で討伐の指揮を執りましたが」 「あー、だよな」 ぽりぽりと米神を掻く様に、こちらの眉間にも皺が寄る。 一体、何だっていうんだろう。 「で、何で”あまと”なんて呼ばれてんの? あんた刹亜ってーんだろ? リシアヴィアの建国の立役者なんだろ、”あまと”って。何だって、そんな化石にも等しいヤツの名であんたは呼ばれてるんだ?」 当然の疑問だろう、と刹亜は思う。 だけれど、それは自分自身が尤も欲する答えにも等しい。 それを唐突に現れて、ずけずけと遠慮もなく弄くる男たちに、沸々と怒りが湧く。 「さぁ?」 いっそ、笑みを浮かべて首を傾げてやる。 と、目の前の男は器用に片方の眉尻だけを上げて、肩を竦めた。 「………あんたさぁ、嫌なら嫌っていえば?」 息を呑む。 「な、んで」 そんなことーーー? 「言わなきゃ解んないでしょ」 誰もあんたではないんだから、と言われて口許を引き結ぶ。 言わなきゃ解んないからって……人の気持ちを思いやるって、そんな簡単なことでさえ周囲の連中は出来やしないじゃないか。そんな奴らに言葉で告げたからって、こちらの意が伝わるのか。事実、奴らの欲しいのは僕であって僕ではない。 希代の魔法術師・天都の代替としての存在、だけだ。 灰羅と李玲、灰羅の屋敷の人々、それから…泣きそうな顔を隠しながら突っ掛かってくる年下の幼馴染み・陸瀬。 彼ら以外の人は―――誰も僕の言葉なんて、求めなかった。 聞きもしないし、僕に僕の意思があるだなんて考えてもなかった。 だから、そんなものなんだと……諦めかけていた。 逆に、それだけの人がいるだけでも、良しと思った。 「あんた自身の言葉で相手に告げなきゃ」 「……まかり通るとは思えない」 「だけど、そうしなきゃ誰にも解んねぇし。自分が諦めてどうすんだ」 刹亜にしてみれば、物心着いてからずっとの環境だ。今更、諦めるとか嫌だとかそう言う以前の問題の気がした。が、それを受け入れている訳ではない。己としての個を認識して欲しいと、思わない訳がない。 「あんたはな、もっと色んなこと望んでもいいと思うぜ。諦めてちゃ、そのまんまだってこと知らねぇの?」 ―――しゃらり、と。 現実にはない、鎖が。どこかでたわむ音が響いていた。 to be continue |