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 誰もが魔力という力を用い術を行使する地において、それを持ち得ない。
 一方、膨大な魔力と知恵を保持するが故に、自身を自身として認識されない。
 そして、傾国と謳われ持て囃されるまでの美貌の為に、望む事さえ諦めた幼い心。

 李玲の心を占めるのは、友人である幼馴染み等のことだ。
 が、彼らの傍に在りながらも、他と異なるという恐怖を、本当の意味で彼女は知らない。





 普通というのは、周囲のものと然程変わらない、突出したところのないものが括られる。
 家柄や性質や能力や容姿を、ほぼ完璧なまで平均の枠から抜け出さないというのもある意味凄いのではないかと、李玲は思うのだったが。
 だから、そう意味でいうのなら李玲は限りなく普通だ。
 商店を営む両親の元で生まれ、ちょっとばかり気は強いが懐に入れたものにはとことん甘く、それ以外のものに対してもそれなりに優しく、癒しの魔法を得意とする、10人並の美人さん―――と、見事なまでに範囲内に治まっている。
 故に、解らない。
 灰羅の他とは違うという恐れも。
 刹亜の己を見てもらえないという怖さも。
 他から拒絶される恐怖は理解できても、きっと、本当の意味では一生解らない。
「だけど、それが何だって言うの」
 ふたり共に大事な幼馴染みで。大好きな友達で。彼らの傍に居るのに、他に何が必要なのか解らない。
「っていうよりは、邪魔よね」
 ひとり納得して、李玲は頷く。
 あのふたりに関しては、他のものなんて要らないと、改めて思う。
 彼らはふたりがふたりして、そういう李玲の普通であるという部分に救われている。彼女と居る時、穏やかに微笑んでいるのを李玲本人が直に見、感じている。
 そうである自分。そうであって欲しい自分、という根本が揺らぐことがない。
 自分の傍にあることで彼らが安らかでいられるというのなら、李玲は喜んでそうする。


 だったら、あの子は。
 普通という括りで括れない『傾国』と字された美貌の、もうひとりの幼馴染み。
 ひとりでいることを自らに強い、誰にも心を開けずにいるあの子どもは?






 いつものように取り巻の少年達に纏わり着かれ、浮かない顔で広場を横切ろうとしていた少年を李玲は呼び止めた。
「……李玲」
「ちょっといい?」
 答えを待つまでもなく踵を返す李玲の後を、陸瀬は取り巻き連中に断って追う。
 どこをとっても普通で括れる少女へ、取り巻きは何も言えないのを李玲は知っている。普通であるということとそうではない者たちへの対応の違いに、反吐が出そうになるのはいつものことだ。
 周囲が彼女を普通という括りでみているのだとしても、彼女自身はそれを良しとはしていない。あくまで、自分は自分だとしか認識していない。
 結局彼らは、普通という単語で自分達の可能性を狭めているのだというのが、彼女なりの持論だ。

「どこまで行くんだ」
 取り巻きたちの姿も見えなくなり、ぽそりと居心地悪げに掛けられた言葉は小さかった。それを受けて、李玲はくるりと陸瀬に向き直る。
 僅かに逸らされた視線に、李玲が訪ねてきた理由が解っているのだろうと知れた。
「………見ず知らずのリーリアの賞金稼ぎに刹亜の情報売ったのって、あなたでしょ」
 いきなりな李玲の台詞に、陸瀬はそろりと目の前の少女に視線を合わせる。
「売ってない。無料提供しただけ」
「そういうことは、隠して」
 自分で確執深めてどうするの? と溜息混じりに嗜められ、陸瀬は 「……別に、今更だし」 不貞腐れた。
「それに俺は、刹亜には他所の連中の方がよっぽど本人の為になるって思ってるし」
「刹亜だけじゃなく、でしょ」
 ぴしゃりと言い難いことを口にする李玲へ、恨めしそうな表情を向けた。
「……………灰羅に対しても、だけど」
「わたしはそれに、あなたにもって入れて欲しいんだけど?」
「俺は……違うから」
 陸瀬はぽそりと零して項垂れる。
 数多の者から好意を寄せられるのは知っている。それを厭うのは、傲慢でしかない。彼自身がどんなにそれを望んでいないとしても。
 そんな風に考えられるのは、陸瀬の美点だと李玲は思う―――けど、だ。
「いつもは小生意気で我が侭なくせに、どうして肝心なとこでそうなるの?」
「…………別に、」
「我が侭の使いどころを間違ってるって言ってるの」
「………俺を見るなとか、構うなとか…んーなこと言えないだろ」
「言ってもいいの、あなたは! もう、何年そうやって周囲に振り回されてきた? ………あのね、本人の望まない好意の押し売りなんて暴力となんら変わらないのよ」
 好意と銘打っているだけにそっちの方がよっぽど性質悪いじゃない、と平然と言い切る李玲に、陸瀬はきゅっと唇を引き結ぶ。
「わたしはね、他を大事にするのと同じくらい、あなた自身も大事にして欲しいだけなの」
 真摯に言われて。それでも返す言葉を持たない陸瀬は、上目遣いに李玲を睨む。
 そんな可愛らしい表情で睨まれても全然怖くない…どころか、抱き締めたくなるくらいに愛らしいということをこの幼馴染みは気付いてないんだろうかと、李玲は一度とことんまで問いつめたいと半ば本気で思っていたりする。
「……してるじゃん」
「全然してない。それに、身体だけのことじゃないからね」
 自分の気持ちを押し殺して。
 真の望みを口にも、ましてや態度にも出せず。
 誰にも弱音を吐かず、ひたすら本心を隠したままに笑みを浮かべるのがどんなに辛いことか。
 よく堪えてられるものだと思う。陸瀬の置かれてる状況に自分が置かれたら、なんて怖くて考えたくもない。確実に、壊れる。
 それなのに……。
「俺、平気だし」
 なんて言って、笑うのだ。この幼馴染みは。
「わたし達は、全然平気じゃない」
「……………」
 いっそう深く項垂れた陸瀬を責める気持ちなんて、微塵もない。
 どうやったら気持ちが伝わるのか、そんなことばかり考えてしまう。
 どれ程に彼のことを思っているのかが伝わって欲しいと、願っている。
「そろそろ……いいんじゃないかと思うんだけど」
 小さく小さく呟くと、陸瀬の華奢な身体がぴくりと揺れた。
「もう6年だよ? あなたもわたし達も、それだけの間ずっと我慢してきたよね。離れるつもりなんてこれっぽっちもないけど、だけどこれから先のことなんて誰にも解らないじゃない? 確実に傍にいられる間くらい、一緒にいたいって……ただ、それだけのことをどうして願っちゃいけないの」
 個が個である限り、ずっと共に在れるなんてことを信じきれる程自分は純粋じゃない。
 だけれど―――。
「本心を言って」
 会いたいって、傍にいたいって……言って。
 そうしたら、どんなに周囲の連中に罵られても嘲られても、きっと堪えられるから。
 4人でなら、堪えられるから。
「ーーーッ、」
 ぐっと引き結んだ唇をいっそ噛み締めて、陸瀬はふるふると頭を振り続ける。
 そうして、想いを……拒絶する?
「どうして、駄目なの?」
「…………だって、傷つけたくない」
 ぽそりと零れた言葉に、震える声音に、李玲は口を噤むしかなくなる。
「わたし達にだって、出来る覚悟はあるよ?」
 そう言ったのに。
 陸瀬は自嘲するような笑みを浮かべ、もう一度大きく頭を振った。
 自分の幼馴染みは揃いも揃って不器用だと思う。
「それで……いいの?」
「他にどんな方法があるんだよ」
 そう、灰羅と陸瀬の現在の複雑な状況は、本人達が望んで起こすものではない。彼らの周囲の知り合いに関するものは、ほぼ陸瀬の存在そのものが所以だともいえる。子どもの頃と、それはなんら代わり映えしない状況。
「俺には、他に方法なんて思い浮かばなかったし……それは今も一緒だし」
「それじゃあ、ずっとこのまんまじゃない」
 陸瀬は泣きそうに顔を歪める。



 ただ、傷付けない為。
 それだけの為に、大好きで大切な者達の傍にいることを諦めた。
 誰にも告げず、誰にも相談せず、涙さえ見せず……そうすること、全てを自分で決めた。
 当初は一過性の処置だと思っていた。だけれど、当時と変わらない周囲に活路は見い出せないままで。
 結局それは、互いの間にある溝を深めただけに過ぎないのだけれど。

 それでも、陸瀬自身が。
 灰羅と刹亜を傷付けるだけの存在としてしか、彼の傍に居られない事実に耐え切れなかった。
 周囲の取り巻きたちが望んでいるのが陸瀬自身で。その陸瀬さえ取り巻きたちの傍にいれば、異端を理由に彼らを傷つけることはないと知ったのは、いつだったか。
「全部……俺の所為だから」
 好意の重さを知る者なんて、そうはいない。だけれど、誰がそんなこと、知りたいものか。
「俺は、平気。だから、」
 気丈に笑みを浮かべる、それが強がりでしか有り得ないと解っていながら。
「李玲たちは―――笑ってて?」
「当然でしょ」
 頷いてやることでしか、安心させてやれない。彼らの笑みを護る、気休めにしかならない約束をしてやることでしか、陸瀬の負担を和らげてあげることしか出来ない。
 それだって、きっと微々たるものだということくらい、知っている。
 そんなことしかしてやれない自分が、悔しくて哀しい。
「羨ましかったら、いつでもお出で」
 せめてもと、笑みを浮かべて言った言葉に返ったのは、くしゃりと泣きそうに歪んだ表情だけだった。



 ねぇ?
 何も知らずに居られたあの頃に、かえりたいね。





to be continue