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 それは、秘密。




 きっぱりと線を引かれた、こちらと向こう。
 実際には存在しない筈のそんなものまであるかのような錯覚。
 引き離される。
 願いも望みもしないのに、いわれなき理由で。
 本来なら、そんな理不尽など許容する性質ではない。
 なのに、従わないわけにはいかない。
 何故なら、他でもない自分の存在そのものが彼らを傷付けているのだから。
「ーーーーーーッ」
 ツキンと痛む鼻の奥と、熱くなる眼の裏。
 ともすれば溢れ出しそうになる感情を、唇を引き結ぶことで耐えた。

 知らなかった。
 気付かなかった。
 それは真実であったし、そう言うのは簡単だったけれど。
 だけれど、それを渦中にいた自分だけは言ってはいけない言葉だと、陸瀬は知っていた。



 ひとつひとつは、本当に些細なことだったのだと思う。
 そう、諍いとはいえないほどの、戯れにも似たささやかな小競り合い。
 だけれど、それが己の存在故に引き起こされているのだと、そう知った時。
 ただ、ただ、護りたかっただけの陸瀬には、他の選択肢など浮かびもしなかった。

 陸瀬の周囲からは常に人が途絶えることはない。
 それは、幼い頃からずっとそうだった。
 彼本来の気性は、大らかで朗らかで、そしてちょっとばかり我が侭で。誰に対しても分け隔てしない態度は、数多の者に好まれた。
 その上、惹き付けられずにいられない美貌でありながら、それを驕り誇るでもない。
 友人として愛さずには居られない気性にその容姿とあっては、ある意味において陸瀬は無敵だった。
 その胸の内、その本心を誰も知らずとも。

 子どもは異端者を攻撃するのに躊躇いを持たない。
 欲しいものを手に入れる為なら悪意など欠片もなくとも、それを成せる。
 そして、自分たちのお気に入りの者の想いが特定の人物たちに向けられれば、それを良く思わない。
 ある意味、厄介極まりない者たちでもある。

「誰も俺なんて見なきゃいいのに」
 数多の者に愛されながら、陸瀬は何度そう思ったか知れない。傲慢と罵られそうなそれを口に出さない思慮くらいはあったが、心の内ではずっとそう思っていた。
「………会いたい、だけなのに」
 呟く声音は小さく、誰にも届くことはない。聞きとがめられれば、迷惑を被るのは陸瀬ではなく想いを傾けている人へだと知っていたから。
 本心を吐露することさえ、出来ずにいた。
 自我が強く意地っ張りで我が侭、という本来の己の気性を押し殺してまで我慢出来るのは、護りたい相手が彼らだから。
 多くの人が自分に好意を寄せてくれるのを知っている。愛されて嬉しいとも有難いとも思うものの、重いと感じるのも確かで。
「こんな顔じゃなかったら、良かったのかな」
 そう呟いて、ツキンと痛んだ胸にてのひらを押し当てる。今は亡き母の面差しそのままだと、母を知る者たちからの懐かしむ優しい言葉を思い出して。

「……ごめん、母さま」

 母は幸せだったと聞く。
 だから、同じ面差しの陸瀬も幸せになるのだと、父と兄は慈しみの満ちた眼差しで語ってくれた。素直に彼らの言葉を信じられなくなったのは、いつだったのか。
 置かれた現実より何より、そんな自分が一番イヤだった。













 それは、秘密。
 他の者は誰も知り得ない、陸瀬と李玲―――ふたりだけが知る真実。




 出逢った頃から、陸瀬の傍には誰かしらが居た。それも、結構は人数。
 それは、その状況を望まない陸瀬を中心とした集団だった。
 愛らしい容姿と、我が侭な…けれど温かく朗らかな気質に惹かれた者たち。
 李玲にすれば、陸瀬の認識は可愛らしいけど生意気で我が侭な子どもだった。それは一般的に見ても変わらない認識だったと思う。それでも、陸瀬は数多の人に好かれていた。大人から子どもまで、誰かしらが常に傍らにあった。

 そんな陸瀬が一番懐いたのが、刹亜や李玲や灰羅で。始終共に在りたがる陸瀬の懐きように、彼らに対する周囲の者たちの態度はあからさまだった。その一番の標的とされたのが、内向的で劣等感の強い灰羅だったことも。
『ハイラにいじわるしないでよ』
 陸瀬がどんなに懇願しても駄目だった。
 そうすればそうするほど、何故か周囲の者たちの行動は激化した。
 いつもなら自分の願いを叶えてくれる友達が、自分の大事な人たちを傷付ける―――そんな状況は、幼い陸瀬を恐慌させ焦燥させた。
『ハイラもセツアもリレイも、きらいじゃないけど』
 それは、誰の台詞だったのか。
『あいつらがいると、リクセおれたちと遊んでくれないから』
『……おれ、のせい?』
『おれたちだって、リクセと遊びたい』
 嫉妬とかやっかみとか、子どもだったからこそ隠されることのない嫉妬心に、陸瀬は戸惑ったが。それでも、彼らが迫害されているのが自身の所為だったと知り。
『………じゃ、じゃあ! おれがハイラたちといなきゃ……いいの?』
 どうしていいのか解らず出した答えが、彼らの傍にいないこと―――だったのを李玲は知っている。手間の掛かる弟のように思っていた陸瀬が彼自身の意思で自分達の傍を離れたなんて信じられなくて、単身陸瀬のもとへ赴き問いつめたのは他ならない李玲だ。
 その時にも、小さかった陸瀬は今と同じ台詞を涙をぽろぽろ零しながら呟いた。
『どうしていいのか、わからないんだもん』、と。
 護りたいから、傷付いて欲しくないから、そうするしかなかったのだと。自分達のなかでは一番歳下なくせに、護られる側な筈なのに。
『大丈夫だから、いっしょに遊ぼ』 と何度も誘った李玲の言葉に頷かず、ただ頑なに拒絶するのに癇癪を起こした自分の方こそ、今なら子どもだったと判断できる。
『おれのせいで……ハイラが泣いたら、やだ』
 舌足らずにそう言う自分の方が、綺麗な暁色の瞳に負けないくらい真っ赤に泣き腫らした目許をしていたくせに。

『おねがいだから、ハイラとセツアに言わないで』
 と言ったのは、陸瀬で。
『………もう泣かないっていうんだったら、やくそくしてあげる』
 そう応えたのは、李玲だった。



 偽りの日常。
 ただひとりの子どもの願いで創られた、本心を隠された現況。
 穏やかだけど、誰もが傷を抱え込んで身動きできない、そんな哀しい現実。





to be continue