… 12 …


 いい風だと、陸瀬は暁色の瞳を細める。
 今の時期水量は少なく、川底が半分ほど露出している。が、凪いだ川面に小波をおこし、白銀の髪を舞い上げて空へ還ってゆく風は、肌に心地いい。
「もう時期、雨季か」
 リシアヴィア王国では夏季と冬季が交互に訪れ、それぞれの季の移ろう時期に雨季を挟む。雨季は月の巡り一巡程だが、それぞれの季間に雨量が得られない所為もあり、重要だとされていた。雨季の間に、川は満たされる筈だ。
 風と遊ぶ髪はそのままに、水面に視線を移す。
 取り巻きといわれる友人たちを撒くのは慣れた。
 何しろ彼らにまとわり付かれるのは、物心ついて以降という長さだ。慣れもする。
 だからといって、そうそう長い時間彼らの目を欺けるというわけでもない。数が半端ない上に、いって欲しくない方へ勘繰りはいく。極力、そちらの方を避けたい陸瀬は、故にひとりの時間が極端に少なかった。
 その希少な時間だというのに。
「おや、美人さん発見〜」
 ついてる、と笑う柚希茂ののほほんとした台詞に、整った眉根が皺を寄せる。
 機嫌悪い? とストレートに問われて、陸瀬はムッとした貌のまま口を開く。
「容姿の美醜って……そんなに重要?」
「んー まぁ、それなりには? ってーかな、美ってひとつの力だと思わない?」
「力?」
 訝し気に問い返され、柚希茂は苦笑する。
「素直だねぇ。ちょっとは隠さない? それともなんか、怪しいとか思ってる?」
「……別に今更」
「だよねぇ。顔見知りだもんね」
「で、何で綺麗なのが力になるわけ?」
「きみ、笑ったら周囲の人たち、固まらない?」
 いきなりな台詞にこそ、陸瀬は一瞬対処出来ず固まった。
「ーッなに、それ」 が、悟られるのが嫌でぶっきら棒に返した返答に笑う柚希茂の様に、隠し切れなかった事実をいとも簡単に突き付けられる。
 年上の旅から旅への賞金稼ぎ相手では経験値の差が大き過ぎると、陸瀬は無駄な虚勢を張るのをやめた。
「…………る、けど」
「そう、咄嗟に抗えない。ダイレクトに視覚から入って、感覚酔わせて麻痺させて。惹き込まれて、逃れられなくて溺れてしまったヤツなんて過去にわんさかいる。これを力と云わずに、なんと云えと?」
 その力の為に廃した国の風説は、多くはないが皆無なわけではない。そして、流れるそれらはほぼ真実に近い。
 基本、人間なんてーのは自分の欲には逆らえないからなぁなどとほざく柚希茂の横で、陸瀬は眉を顰めた。そして、わずかばかりの躊躇を見せた後、
「あんたはさ……俺、綺麗だと思う?」 ぽそりと問う。
 じっと見つめてくる暁の瞳が欲しがっているのは真実の言葉だ、と柚希茂はその瞳に込められた光りで知る。だから、欠片の逡巡もなく、告げる。
「あぁ、きみがどんなに嫌がっても、な。それも、好みやらをどうこう言う以前に見惚れちまう類の、厄介極まりなさだ」
「ーッ」
「知ってるか? 美ってーのは、姿形だけじゃない。どっちかっていうと、内からの作用のが大きい。例えそれ程の容姿を持ってたって、中身がきみ自身じゃなきゃ意味がなかった。単なる飾り物にしかならなかった」
「………解んねぇ」
「きみのその容姿にきみの自我あってこその、美ってやつ?」
 眉根を寄せて柚希茂を見やる陸瀬の瞳には、困惑しか浮かんでいない。
「結局さ、きみは今の現状からは逃れられないってことだ」
 端的に事実を述べる。
 きっと、目の前の少年を酷く苛み傷付ける台詞だと思ったが、それでも柚希茂はあえてそう言った。案の定、くしゃりと泣きそうに陸瀬の顔が歪む。
「そんなの……欲しく、ない」
 まるっきり子どもの表情だ。実際、陸瀬の表情は豊かで、思ったままがすぐ貌に出る。だからこそ、柚希茂は気付いた。
 笑ってねーよな、こいつ。
 陸瀬の表情が何故曇ったままなのか、その理由を知らない柚希茂は素直に勿体無いと思う。笑顔はさぞかしこの美貌を際立たせるだろうに、と。
 柚希茂の窺うような視線に気付いたわけではないだろうが、陸瀬は暁の瞳を足許に落として俯いた。その仕草に、何か言いたい事があるのだろうか、と柚希茂は待った。
 そして、聞いて欲しいのかそうではないのか解らない程の小さな声音が落とされる。
「子どもの頃はさ、力があればなんでも叶うって……望みを叶える為に力を欲しがるんだって、そう思ってた」
 その呟きは、ある意味真理だ。
「だけど、過剰な力は弊害しか生まないんだよな」
 陸瀬が彼自身と、あの刹亜という少年の事を重ねてそう言ったのだというのは想像に難くない。
 街の噂では、刹亜の傍には魔術の発動を出来ない少年もいるらしい。彼らの周囲は、特殊な子ばかりだ。だから、余計に人の目には奇異に映る。
 周囲から突出しているのが自分ひとりだけではないという状況は、彼らの場合安らぎにはならなかったらしい。
「それは、持ち得た者が言うと傲慢としか取られかねない言い様だけど。でも、きみが言うと頷くしかないよなぁ」
 確かに、自分を含め身に余る力を持ち得ている者を目の前にしていれば、そう考えても仕方ない。考え方次第だと言うには、この子どもたちは特殊過ぎた。
「あんたって変わってるな」
 ぽそりと呟かれた言葉に、柚希茂はにっと笑う。
「あんたじゃなくて、俺の名前柚希茂ね、ゆ・き・し・げ」
 言い含めるように、一語ずつ区切って告げる。そして、意地の悪そうな笑みを湛えたまま目の前の少年に問う。
「で、きみの名前は?」
「……知ってるだろ」
 確かに出逢ったとき、周囲の雑音に混ざっていたが。
「俺はね、きみの口から聞きたい。名を交わすのは、他を認識し、そして許容してもらうための、第一歩だろ?」
 柚希茂の言葉は好ましいもので、陸瀬はその好ましさ故に間をおかずに名を告げた。
「俺は、陸瀬」
 己の感情のままに悪意も好意も隠さずに接する子どもを、柚希茂は目を細めて見やる。それなりの意地を持ちつつも、素直な性質を素のままに曝け出せるのは、美点だと感じる。
 なんてーか……可愛い。
 特殊な環境におかれ、自分を特別扱いする周囲に負けず、よく歪まずに育ったものだと、感心する。
 人を惹きつけるのは、この容姿だけの所為ではないのだと改めて思う。
「うん、確かにお持ち帰りしたい愛らしさだなぁ」
「………」
 ムッとするから、ニカリと笑って見せた。
「心配しなくても持ち帰らないって」
「そんな心配してないし」
 僅かながらも笑みを含んだ表情が見えて、柚希茂は目を細める。
「だけど、逃げたくなったら連れてってやるよ」
 キョトンと瞬いた瞳が愛らしくて、本気で彼が願えば叶えてやりたいと思った―――が、 「俺は、逃げないよ」
 陸瀬はきっぱりと言い切った。
 確かに望んでいる状況ではないけれど、それでも、と。
「俺、全てを捨てて逃げたいなんて思うほど、不幸じゃないよ、きっと」
 やんわりと、淋しげに微笑むその貌に。
 あぁ、本気でやばいよなぁと、柚希茂は苦笑した。
 手負いの獣には、手を差し伸べたくなる。優しく撫でて、癒してやりたいと思う。それが、どうやら獣だけにはとどまらない衝動らしいというのは、つい最近知った事実だ。
「………ひとつだけ、」
 その対象と成り得る少年からの願いに、耳を傾けないわけない。
 頷いて促すと、陸瀬は暫しの逡巡の後じっと柚希茂の瞳を覗き込んできた。切実な色合いを醸し出すその暁の瞳に、自分の貌が映り込んでいる。
「もし…………もし、だけど」
「うん」
「もし、俺の……大事な人が、逃げたいとかじゃなくってどこか…ここじゃないとこに行きたいって言ったら」
「……うん」
「連れてって、くれる?」
 願いだった。懇願だった。
 今にも泣き出しそうな表情で懸命に訊ねる陸瀬に、頷く以外柚希茂に出来る事はなかった。
「あぁ、いいよ。俺の利き腕ときみの暁の瞳に誓って」
 くしゃりと歪む貌。
 大きな瞳は瞠られ潤んではいても。それでもやはり、泪は零さない。
 きっと、本心は違うだろうに。彼らの傍にいたいと、誰よりもそう思っているだろうに。
 それと知りながらも。
 そう望む程に彼らを護りたい、と願う陸瀬の想い故に。
 矛盾だと感じつつ、哀しませるだろうと知りつつ、
「―――約束しよう」
 誓わざるを得ない。
 そうする事で、小さく震える子どもの心が一時の平穏を得るのなら。



 約束しよう。
 ―――決して違えることは、ないと。





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