… 15 … 外聞上、今は犬猿の仲となっている幼馴染みが、皇帝が二子・第二継承権を持つ槇尭の傍に召されると聞いたのは、逞香将軍からだった。 刹亜は、皇国の騎士・魔術師訓練施設で実地担当の教官見習いをやっている。年若い所為で見習いとされてはいるが、やっている事は教官と代わらない。 汰鞍の家に引き取られた時分、遠い親戚だと訊かされていたが、数代遡らないと辿れない親戚筋などは既にその範疇から脱していると刹亜には思えた。 孤児である上、まだ子どもと言われても仕方ない刹亜を雇ってくれる場所など、実際のところないというのが実情だ。が、刹亜は早く自立したかった。天都の再来ではないかという理由だけで高額とも思える給金で雇ってくれる皇国を利用するのに、刹亜の良心は露程さえ痛まなかった。 その、刹亜の仕事場へ逞香は度々訪れていた。 そして、 「そう言えば、」 とふっと思い出したようにもたらされた情報は、刹亜を驚愕させるに至るには充分過ぎるものだった。 「陸瀬というと……父親が城勤めをしている」 「あぁ、類稀な美少年らしいな。遊び人の槇尭様を一目で落す程の」 逞香将軍の軽口に顔を顰める、だけれど互いに語る彼が同人物らしいと刹亜は知る。陸瀬は確かに、類を見ないほどの美しい少年だ。その周囲で、彼を巡るいざこざが日常のものと捉えられるほどに頻繁に起こってもいる。それを、色恋に疎い陸瀬本人は他愛もない喧嘩としか認識していない。 ある意味、傍迷惑な子ども、だ。 そして、自分たち三人の大事な幼馴染みでもある。 「ですが、彼は市井の子で」 「あの子の父親の祖母殿は、そもそも皇族の出らしくてな」 身分的には何の問題もないそうだ。 「………側室、で?」 「正室で迎えられるそうだが」 大事な、大切な人だ。 勿論、幸せにはなって欲しい。 「実のところ、三竦み状態だったと聞いてはいる」 「は?」 「槇尭様と陸瀬殿と、主税様。どうやら、陸瀬殿は皇族の二方から想いを寄せられていたらしい」 刹亜は、純粋に驚いた。 自分たちと陸瀬の間に距離を感じ出した頃、彼の周囲に主税の姿を見て目を瞠ったことがある。魔力の発動とその甚大な内包量故に、物心ついた頃から登城を強要されていた刹亜は、遠目にではあったが皇帝の御子を何度か目にしていた。その内のひとりが、自分たちが居られなくなった幼馴染みの傍に居たのである。驚きは当然だろう。 人伝に親しくしているのだとも聞いていた。 確かに陸瀬は綺麗な少年だった。比類なき、と噂される容姿もなれど、その内が。 己を偽らない。真っ直ぐに相手を射抜く瞳は、その内を表すかのように強い。 偽りの犬猿の仲、とはいえ。 陸瀬が自ら率先して突っ掛かってくるということはない。当たり前だ。陸瀬の本心は全く逆を向いているのだから。 それでも大抵、彼の周囲の者達が揶揄ってきて、次第に熱を帯びたそれが広まってゆく。 そして、取り巻きの中心にある陸瀬が場を治める運びになるのだ。その為には、思ってもいない言葉を吐いたこともあるのだろう。去り際、至極泣きそうに歪んだ表情を垣間見たことがある。 対立し始めた当初、困惑の色ばかりだった暁の瞳は、時折隠しきれない苛立ちを垣間見せていた。その苛立ちの原因とて、本人にははっきりと解っていないようで、やはり困惑も含んでいたが。 自分の置かれた位置と周囲の思惑とに望まず巻き込まれてゆくのに一番戸惑っていたのは、彼自身だったろう。 だからといって、彼自身気付いていないそれをどうこうするのは、当時も今も一切の余裕がない刹亜にとっても出来かねることだった。 そんな、己の心さえ計り知る事が出来ずにいる陸瀬に、ふたりの男を手玉にとれる程の器用さは持ち得ないように思える。それどころか、年を重ねる毎に凄みを増してゆく美貌に群がってくる者たちをそれと意識しないほど、陸瀬がずっと一途に灰羅を想っているのは、自分や李玲にさえ気付けるほどなのに。 そんな綺麗な想いを抱えたままの陸瀬ゆえに、色恋の方面はからっきし子どもだとさえ思っていた。 「それ、本当に陸瀬なのですか?」 だから、再び訊ねてしまう。 「あぁ、了我殿の次男殿だが……知り合いだったか?」 逞香の問いに、刹亜は曖昧に頷いた。知り合い……その程度の関係なら、こんなに驚きはしないし胸も痛みはしなかった。 断れはしないだろう状況に置かれた幼馴染みが、哀れでならない。 「そりゃ、複雑だな」 逞香の言葉には、複雑そうな感情も感じ取れて。いっそ、刹亜は胸の痛みを深くした。 呆然とし、そして困惑に染まり、やがて怒りとも焦りとも悔しさともつかないものへと変化するそれは、共通する感情の変化だ。 「どうして、いつの間にそんな事になってんの!」 思っていた通り、李玲の叱責は報告した人物へとダイレクトに向かってきた。 恐らく李玲の疑問は、陸瀬に関わる者全ての疑問だ。 「そんな事、僕の方が訊きたい」 だから、そう答えるしかない。事実、僕は何も知らないのだから。 「…………陸瀬、は」 「きっと、一番困惑しているのあの子だと思うけど」 「……解ってるよ」 皇族の絶対性。 実際は、国民議会やら委員制やらの存在があるとはいえ、それでも最終決定としての報告、承認は皇帝陛下がくだす。 それに、国民の誰が逆らえる? 「だけど……なんで、あの子なのよぉ」 くしゃりと歪んだ李玲の表情。 気丈な彼女がどんな時でさえ涙を零さずに堪えている事を、僕も灰羅も知っている。女の子なのに、常に強くある事を己に課しているのも知っている。 「わたし、陸瀬の貌……嫌い」 誰もが賞賛し、惹かれ、焦がれる幼馴染みの美貌に駄目だし出来るのなんて、きっと李玲だけだ。 「あの子があんなに綺麗でさえなければ、私たちずっと一緒にいられたのに」 一体、誰がこの事実を灰羅に告げるのか。 ぎゅっと唇を噛んで痛ましそうに零す李玲の、華奢な手をそっと取る。 「……刹亜」 「僕が、言う」 「だけど、」 「大丈夫。僕が、灰羅に話すから」 繋いだ手をぎゅっと力いっぱい握って、 「ごめんね」 と李玲は見つめてくる。 「辛いこと、押し付けて………ごめん」 「何言ってんだ」 僕が、陸瀬の真意を誤って捉えていた時、僕らの間にあってずっと李玲は苦しんでいた。 真実を告げられなくて、陸瀬を呼び戻せなくて。 ―――短くはない時間、たったひとりで胸を痛めていたのだ。 「これは、僕の役割だよ」 こんな事くらいしか、僕には出来ない。 告げた刹那、色を失くした。 あまりにあからさまな狼狽振りに、刹亜は常になく幼馴染みの前で心持ちを引き締める。。 「……灰羅」 「陸瀬、が………なんで?」 「輿入れ、するそうだよ。槇尭様の正室にと望まれて」 再び告げたそれに、灰羅が愕然とする。 皇帝の跡継ぎは長兄たる侑左(ゆうさ)様に決まっている。二年前に娶られた正室も第二子を懐妊中で、一月二月の後にはふたり目の御子も誕生されると聞く。 長兄の正室男子、側室の男子、長兄の御子が生されなければ次兄へ…とこの国の継承順位は決まっている。直系男子がない場合のみ、女子へと皇帝継承がなされる完全な男尊女卑だ。ふたり目の御子が男子なら、槇尭様、主税様の継承順位は自動的に下がることになる。 今の状況で、槇尭様や主税様が子を生すことを前提に婚姻を結ぶ必要はない。逆に、皇帝の座を巡る争いの芽が少なくなる所為もあり、喜ばれさえする。 故に、他の国では認められていないと聞き及ぶ同性間での婚姻も普通にあるし、血を一番に考える跡継ぎを残さねばならない名家以外では一般的に男女婚と同率程度には頻繁でもあった。 「主税様と槇尭様に望まれて、陸瀬自身が槇尭様の元に嫁ぐ事を決めたそうだ」 いつもは寂しげな笑みを浮かべている友人の色を失った面を前に、聞き知った事実しか伝えられない。 それは、これ以上もなく心を乱し、傷付けるものでしかなく。 最早取り繕う事も出来ず呆然と立ち尽くす灰羅へ、刹亜は掛ける言葉さえ持たずにいた。 何故、運命は僕等に優しくはないのだろう。 to be continue |