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 次の月が満ちる日に、皇帝が次男の婚儀が執り行われるとの慶事は瞬く間に帝都を巡った。
「って、一月後じゃん」
 昨夜満月を肴に酒を飲んだのだから。
 その折、次代の皇帝である長男の二子誕生が近々らしいことも耳にしていた。希代の占い師・視遠(シエン)の先見で、その御子が男子であることも。つまり、第二継承権を持つ子の誕生だ。
「慶事続きだ」
 リシアヴィア皇国はこの大陸で一、二を誇る大国だ。
 喜びは人びとを活気付かせる。慶事を糧に繁栄する事実も少なくない。ますます皇国は栄えるだろう。
 図式としては、最高だ。巻き込まれている少年の心を蔑ろにしているという真実を知る者以外にとっては。


 既に腰を落ち着けて数日経つ宿屋の一階の食堂は、夜になると酒場に変わる。
 昼間収集してきた情報を肴に、柚希茂と衣雷は酒を酌み交わしていた。酒場は雑多な情報の宝庫だ。酒が入れば、人は気が大きくなり、普段口の堅い者のそれも緩む。
 故に、傭兵や旅人、そして柚希茂たち賞金稼ぎ等の利用は多かった。
「ありゃあ確かに、噂どおり傾国を思わせる別嬪さんだったからな」
 柚希茂は先日逢った噂の渦中の少年を思い出し、鼻を鳴らす。
 衣雷にしても、目にも印象的な暁色の瞳が未だに瞼裏に鮮やかに描ける。皇族に見初められるのも頷けた。
 その見た目があの美貌でさえなければ、ただの市井の子どもに過ぎなかっただろう。賞金稼ぎを生業とし、各地を転々とする彼らは、人との出会いが生半可ない。一流と名打たれ、そんじょそこいらの傭兵等などよりも余程多いだろう。そんな色んな免疫を持ってしても、陸瀬の容姿は強烈だった。
 だが、言葉を交わした柚希茂にしてみれば、あの気性こそが興味深いのだと言い切っていた。この飄々とした態度が常の男がここまで興味を示すというのも珍しく、衣雷は宵闇色の瞳を眇めた。
「もうちょい、滞在しようぜ」
 訝し気に向けられた相方の視線に、柚希茂は悪戯を思いついた子どものような表情を浮かべる。眉間に寄せた皺で衣雷の困惑を読み取ったのだろう柚希茂が「だってさぁ」と、身を乗り出した。
「面白そうだろ?」
 当初の目的は、勿論違った。
 請け負った仕事の依頼物をここ、リシアヴィア皇国内の街へと届けることだった。その仕事を終え、手にした報酬で酒場に腰を下ろしたところで、帝都への魔獣進撃を知ったのだ。
 それなりの腕前を自負するふたりは、交渉次第で儲け話になると踏んだ。
 故に、本来なら一泊して帰国の予定だったのを、帝都へと足を伸ばした。
 帝都入りする前に、獲物と認識していた魔獣が一掃されたのは全くの予想外だったが。
 それでも、折角得た機会だ。初めて訪れた国での顔繋ぎはやっとくべきだろうとの柚希茂の言故に、暫しの間の逗留に入っていた。
 衣雷にしてみれば、転んでもタダでは起きない柚希茂の尤もたる言動だったが、それが実際役に立ったことも少なからずあったため渋々だか了承していた。
 精錬された雅さを醸し出す皇都は正直性に合わないが、それも数日の事だろうと高を括っていたというのに。
「仕事する気がないのか、貴様は」
「あるよ、大有り! 俺の仕事好きぶり、知ってんだろ。ってか、仕事じゃないと本気で暴れられねぇし」
 それが賞金稼ぎという職を選んだ理由だと、平然と豪語するのが柚希茂という男だ。
「でも、なんてかさ? ここは華やかな見掛けの割にドロドロしてて面白いし。あの美人さんにもも1回くらい遇いたいし? これ以上もない顔繋ぎだろ」
 何しろ、皇族になんだぞ?
「何を基準に面白いというのかは理解できないが。彼の少年に遇える確立など、ないに等しいだろう」
 チッチッチッ、と柚希茂は指を左右に振る。
「衣雷、俺の運の良さ知ってっだろ」
 絶対逢えるって、と言い切られ、衣雷はこの相棒と組むようになって増えた溜め息を今回も盛大に溢した。
 どうしたって衣雷は、この柚希茂という男の口と言動、そして幸運には勝てないのだ。



 皇帝が次男の婚儀の相手、それが傾国と噂に名高い陸瀬という見知った少年だった事。
 それを知った時、飄々とした態度で常に周囲を煙に巻くことに長けた男が、一瞬だけ浮かべた強張った表情。
 それが何を意味するのか。
 短くはない付き合いながら、衣雷に問うことは出来なかった。





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