例えば、こんな話 − 事と次第 19 「変わらないね、ルックは」 そう言って、至極嬉しそうに微笑む男の顔に、もうひとつ小さな影が重なる。 「……変わらない?」 それはどういう意味なのか? 問うと、男は傘を傾けた所為で濡れる僕をそっと引き寄せる。 「ッ、」 「怖がらないで、何もしないよ」 囁くように言われ、僅かにだけど強張りが解ける。 それより何より。何かが、繋がりそうな……気がする。 「3年前…父さんと母親代わりみたいに世話を焼いてくれてた使用人が死んじゃって。どうしてなんだろうって、気が付いたら雨の中でそればかり考えてた。きっと、何時間もそうしてたんだと思う。それこそ下着までびっしょりだったから」 ―――雨は、朝から絶え間なく降り続いていた? 「そしたら、突然傘がね」 差し出されたんだよ、と笑みが深くなる。 ―――買い物帰りの公園で、傘も差さずにベンチに座り込んだままの少年を、見た。 「 『僕の家、すぐそこだから』 って言って、傘を貸してくれた。今更傘なんて必要ないくらい、濡れそぼってたのに。だけど、要らないって言ったら、 『あんたには要らないだろうけど、』 って……押し付けられた」 その子は名前も言わずに、走って行っちゃったけどね―――と、そこまで言われて漸く気付く。 「だって、あんたあの時! 仔猫抱いてたから!」 濡れた体に抱えられた仔猫が、震えていたから。だから……。 『あんたはいいかも知れないけど! 仔猫、可愛そうだろ!』 怒鳴りつけて、傘を渡した。 「仔猫にって意味で傘、貸してやったんだよ」 あの少年は、こいつだった。 「うん、だけど…そのお陰で周りに視線向くようになった。皆僕の心配ばかりしてくるのに……そうじゃない君が、嬉しかったから」 特別扱い、されたくなかった? そうされる事で、自分の中から自分を引きずり出して、そしてもう一度周りを見る機会を見失ってた? ……だけど、 「あんた、馬鹿?」 やっぱりそうとしか、言えない。 そんな僕に、気を悪くした風もなく、男は笑う。 「今度、家に遊びにお出で? あの時の仔猫、ちゃんと居るから」 もう、仔猫じゃないけどねと、これ以上もないような満面の笑顔で言われ。 我知らずの内に、こくんとひとつ頷いていた。 「猫に、逢うだけ…だから」 慌てて言うと、いっそ深く微笑まれて。何故だか酷く、癪に障った。 「言っとくけど、傘差し出してやるのはこれが最後だからね」 「………ルック」 「あんたはどうか知らないけど、僕は濡れるの嫌いなんだよ」 何故かみっとも無いほどに消沈したらしい男の様子に、首を傾げながら 「だけど、生徒部会室には居てやるから」 と、言ってやった。 驚いて凝視してくるから、なんだか決まり悪くて不本意なんだけどねと、言を繋ぐ。 「仕方ないじゃないか、あんたが無理やり役員なんかにするから」 そう、仕方なく―――だ。 例えば、それが何故自分でなくてはならないのだ、とか。 僕である必要なんて、どこにあるんだとか。 ―――根本的な逡巡は、そこに戻る。 だけど。 向けられる笑顔を見て、どうでもいいか…とそう思う。 理由なんて、どうでもいい。 そんなものあってもなくても、結局僕はこいつの傍にいる事になるんだから。 「取り敢えず、任期が切れるまで、ね」 ...... END
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