例えば、こんな話 − 風たちぬ 7 何だかんだで、常日頃の20割り増しくらいの忙しさで日々が過ぎていく。 流石学園祭というべきか、それとも最後のお勤めだからというべきか、珍しく生徒部会員はここのとこ皆勤だ。おまけに、新役員も出席しているから、役員室の人口密度は頗る高い。それに比例するように、ルックの機嫌も悪い…っていうか、無駄に向けられる新役員からの視線が煩わしいんだろうと思うけど。 どんな仕事を回しても、淡々とこなしてしまうルックだけど、何故か今は書類の束を手に眉を顰めている。 「どうかした?」 皺の寄り具合が気になって問えば、僅かばかりこちらに視線を流してから溜め息をひとつ零した。 「こんなに書類って必要だったんだね」 「あぁ、そうだね」 高々二日間の行事にしては尋常じゃない書類数だろう。もっと簡素化出来れば、手間も省けていいんだけど。上層で一度、データでの情報開示にしないかと提案したら、即座に却下された。それなりに長い歴史を持つ学園だから、お年を召された理事会の方々も多いってことだったけど。 「一応、PTAやらOBへの体裁もあるしね」 いくら学園長だとはいえ、公私混同しちゃいけない。立場を利用するにしても、動ける範囲っていうのはちゃんと見極めておかないと。 僕の台詞に、ルックはふ〜んと、胡乱な目つきで書類を睨んでいる。 何か言いたいことあるんだろうな、と苦笑が漏れた。 ルックの通っていた高校への横槍は、結構ギリギリだったから。あの買収が、ルック自身をこの都蘭へと編入させる為、だけの理由で行われたということも本人には告げているし。 かといって、それがどういう意味合いを持つのかってことを、ルックが理解してくれてるのかどうかは定かではない。 結構…っていうか、かなりあからさまにアプローチしてるつもりなんだけど。 「……なに?」 「えっ、」 「溜め息」 「あぁ、うん」 苦笑が漏れる。はっきり鈍感だって断言出来るのに、変なとこで敏い。 珍しく逸らされない視線に、何?と首を傾げて問う、と。 「……疲れてる?」 「ぇ、」 驚いた、心底驚いた。 ルックから気遣う言葉を掛けられるなんて! さぞかし驚いた顔、そのものを晒していたんだろう。ルックが訝しげに眉間に皺を寄せる。 「そういう、顔してるから」 憮然とこぼす。 確かに。 現在、引継ぎと都蘭祭の準備で多忙を極めている。選りすぐりの精鋭といって過言でない新役員と現役員が上げてくる書類は多く、その全てに目を通さなきゃならない立場の自分としては、日々目まぐるしいばかりで確かに疲れていると自覚もしている。 周囲に取り繕うのはいつものことで、無意識にやっていたから。だから、それを幼馴染み以外に気取られるなんて、正直思ってなかった。 ……どうしよう、凄く、嬉しい。 それを見抜いてくれたのがルックであるということが……至極気持ちを高揚させる。 「あぁ、うん。大丈夫だよ」 別にルックが冷たいとか、そんな事じゃなくて。 そんな風に、気遣ってる自分を他人に知られるのを嫌がっているって、知ってるから。気取られるかも知れないという状況下でありながらも、気遣ってくれてるんだって、喜ばずにはいられない。 「都蘭祭まで、後一週間切ったし。その後は提出書類だけ終わらせれば、新役員に全権譲渡出来るから大丈夫」 「……あんたが倒れたら皺寄せ全部こっちに来るから、それだけは避けてよね」 小憎らしい言い回しながら、耳朶が仄かに朱色に染まっているのを目にしてしまえば、言葉の根底に含まれた意を取り違えることもない。 「うん、気を付けるよ」 自然綻んでしまう表情そのままに頷く。と、咄嗟に逸らされたルックの翡翠の瞳が、居心地悪そうに忙しなく彷徨い、結局居場所を見つけられなかったのか自分の指先に落ちた。 「わ、かってれば…いい」 あぁ、何でこんなに愛しいんだろう。 書類の束を差し出しながら、幼馴染みは訝しげな表情を浮かべた。 「………顔色悪いくせに、気色悪いくらい機嫌いいな」 「愛の力って偉大だよね」 「はぁ?」 語尾が上がるそれは、あからさまに呆れを含む。 「あい、だ?」 「うん。ルックが心配してくれてるから」 「………俺、そっから愛へ直結出来るおめでたい思考回路って凄く羨ましいんだけど」 くつりと笑みが零れる。 「他の人ならそんな思い上がりしないけどね。何しろそうしてくれたの、ルックだから」 「…………言い得て妙ってーかな、」 お手軽な幸せっていいよなぁなんて、辛辣に言ってくれる。 だから、”ルックだからだ”だって言ってるのに。 「まぁ、お前がそれで幸せ感じてんだったらいいけど。あとこれ、飲食関係の保健所に提出する書類な、一応目ぇ通しといてくれ」 受け取った書類に頷く。こういうことに関しては、抜かりないって解ってるけど、それはそれこれはこれ。全てを把握しとかないと、後々困るのはテッドと僕自身だ。 「で、新部会長殿は使えそーか?」 「都蘭生が顔の造形のみで自分たちのトップ選ぶなんて愚、犯す訳がない」 「そうは言うけど、ここ歴代の部会長連中の顔見てたらあながちそうじゃないかって考えても仕方ないだろ」 確かにね。顔も家柄も突出してる人たちばかりだけどね。 「ルックが呆れてないから、大丈夫だと思うよ」 「へー」 彼は、使える使えないで人を判別するというある意味これ以上もなく恐ろしい人物だ。理論的で合理的。そんな性質故か無駄を嫌うけど、頑張ってる人には結構甘い。 新役員の者たちも、暫く一緒に仕事をこなしてきたお陰か、ようやくそんなルックの性質に気付いたみたいで、ここ最近の部会室は熱い。 アプローチって訳でもないようで、ただ単純に認めて欲しいって連中ばかりなので、正直扱いに困っている。下手に口出し手出しして、彼らのモチベーション下げるなんて後継を育ててる最中に出来ないし。 時期がこの時期でなければ、遠慮なくやってたけど。 苦虫を噛んだような表情をしてたんだろう僕に、テッドは 「解り易い奴」 とニヤニヤしてくれる。 「煩いな。来客のリスト、出来たのか」 「昨日やっと全部確認取れたから、今新役員がタイピング中」 出来たら持ってくるよ、とムカつく表情のまま、テッドは部会長室を後にした。 「……解ってるよ」 閉じた扉から視線を外して、ぽそりと呟く。 彼のことに関して、僕は全く余裕がない。最近でこそ、穏やかに話しも出来るようになったが、先の見通しが全く着かない所為もあって、イライラすることも少なくない。 僕らは三年で、在学は半年を切ってる。生徒部会も、この祭りが終れば終了で。……クラスこそ新年度時の裏工作のお陰で一緒だけど、この後、どうやって彼との間を埋めれば良いのか、正直解らない。 生徒部会という枠が外れても、彼は僕を受け入れてくれるんだろうか。 傍にいることを、許してくれる? それはいつまで? 大学は、その後は? 僕にとって彼は唯一の人だけれど、彼にとってはきっと違う。 不安定な一方通行の想いも相俟って、答えの得られない思考ばかりに囚われ、焦れて埒もない逡巡ばかりを繰り返している。 彼に関しては、愚かなまでに臆病になってしまう。 たったひとつ、解っているのは―――失えないって、ただそれだけだ。 だから、逃す訳にはいかない。 ようやっと、手の届く距離まで間合いを詰めたのに、離される訳にはいかない。 他に何を諦めようと、彼だけは……諦めない。 そうされる彼は迷惑なのかも知れないけど、それでも。 「ここまで、貪欲になれるなんて知らなかったな」 淡白だとか執着心がないだとか、自分でさえそう思っていたのに。 でも、だからこそ。 「逃がさないから」 手放す訳にはいかない。 そしたら、僕の中にはきっと何も残らないから。 プルプルプル 「ーっ、はい」 唐突な内線の鳴り響く音に慌てて返した声は、みっともなく上擦っていた。 「………なに、どうかしたの」 「いや、何でもない。大丈夫、驚いただけだから」 よりにもよって、一番醜態を晒したくないルックからの電話だ。苦笑が、漏れる。 「何?」 「……みんなが、一息入れようって。あんたは?」 「丁度良かった。集中力途切れがちで、甘いもの欲しいなって思ってたんだ。今、行くよ」 「…………ん」 受話器を置いて、一息吐いてから部屋の扉を開く。 途端、和やかな雰囲気の生徒部会室の様子が目に入ってきた。新旧役員が混じり、それぞれが思い思いの場所でくつろいでいる。共に過ごした数週間で、この期間内だけの場所を見定めて、今だけは穏やかな時間を過ごす。きっと、旧役員が引退すれば又変わるだろうから、これは今だけの状況だ。 「はい、あんたのお茶」 多くの者が集う会議用の長机と応接用ソファーを避けて、ルックは自分の席から動かない。 ルックの手から置かれたお茶は、その彼の机の右隅。 それは―――いつもと、同じ場所。 「あ、りがとう」 たったこれだけの事で、胸が震えるくらい……嬉しい。 ルックに許容されている事が、とてつもなく幸せだと感じる。 だけれど。 「当日の本部詰め、こっちで出していいの?」 いいんなら新旧役員一人ずつ組ませて、適当に割り振りしとくけど、というルックの言は流石に聞き流せず。 「それは僕がやるから」 新旧役員一人ずつ? 冗談じゃない。ルックと誰かを二人きりになんて絶対出来ない。 幸せな心持ちは、あっという間に霧散した。 そんなに難しい仕事じゃないから、断られるとは思ってなかったんだろうルックの表情は怪訝なものだったけど。 ………取り敢えず。 どうすればルックと同じシフトで本部詰めになるのか……それが一番の超難問だ。 ...... to be continue
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